2022年10月10日
被爆の実相を伝え続ける上田紘治さん「再び被爆者をつくるな!」
東京・八王子市役所に隣接するビルの2階にある「八王子平和・原爆資料館」には、
原爆に関わる2000冊以上の書籍や写真集、証言集、こども向けの絵本などがあり、
原爆瓦や高熱で溶けたガラス瓶、被爆死した中学生の血染めの服など、
30平方メートルほどの部屋にぎっしりと資料が並んでいます。
制作中のドキュメンタリー映画「いのちの音色」にもご出演いただいている
八王子在住の上田紘治さんは、1997年からこの資料館を有志の方々と共に自主運営する一人で、
3歳の時に広島で被爆されました。
上田さんの本籍地は、爆心地から400m以内で、現在の平和公園内にありました。
広島平和記念資料館には、
当時爆心心地に住んでいた住居表があり、
上田さんの家も表示されています。
「原爆の爆発の瞬間、地上600m上空で7000〜8000度。
爆心地(500m内)で3000〜4000度。
ちなみに太陽の表面温度が6000度です。
原爆投下時は10km離れていたので現在の私があります…」
と語る上田さんの一番の願いは、
「再び被爆者をつくるな!」
その思いを胸に、
核兵器なき世界に向けて
全力を尽くしておられます。
この夏の暑さで少し体調を崩されていましたが、
昨日と今日はお電話でお話しさせていただき
お元気なお声をお聞きして
とても嬉しくホッとしました。
アオギリの語り部と呼ばれた故 沼田鈴子さんがお元気だった頃には何度も訪れていた沖縄へ、上田さんと共に伺わせていただいた映像を見ながら、これまでの日々を振り返りつつ編集作業を進めています。