2022年10月04日

声なきいのちの叫びを胸に…「長崎を最後の戦争被爆地に!」


戦争はある日突然始まるものではない。

ドキュメンタリー映画「いのちの音色」を制作しながら…
被爆者の故・岩佐幹三さんの言葉が、まるで今のことのように聞こえてくる。

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2015年に撮影させていただいた時、
あの時の岩佐さんの思いを、
私はどれだけ受け止められていただろう…

「ロシアのプーチンさんは、
 クリミアで核兵器を使おうと言っている。
 それは何を意味するか…

 核兵器を持っているということが核抑止力になると言っているが、違うんです!
 もう核抑止力にはならないよ!使うよ!と言っているんだ!」

今年2022年、ロシアのウクライナ侵略が報じられ
再び核兵器使用への威嚇がなされている。

7年前に撮影させていただいた時、
岩佐さんはストックホルム・アピールを思い出されながら…
「人類が再び核兵器の被害にあわないためには
私たち一人一人が、核兵器をなくせという声を、
核兵器をなくせ! もうこれ以上被害を作るな!という運動を高め盛り上げていってほしい」
と強い危機感を示されていた。

岩佐幹三さん(金沢大学名誉教授)は広島で16歳の時に被爆した。1960年に石川県で「原爆被災者友の会」を設立。被爆証言の収集や保存に取り組み、日本被団協の元代表委員を務め、2016年には日本被団協の代表者3人の1人としてオバマ前米大統領の広島訪問に立ち会った。「ヒバクシャ国際署名」の呼び掛け人を務め、生きている間に核兵器廃絶を見届けたいと核兵器なき世界の実現に向けて最後まで活動されていた。2020年9月7日、岩佐さんは91歳ですい臓がんで亡くなった。

私に被爆体験を話すときはいつも淡々と語る岩佐さんだが、
原爆で自宅の下敷きになった母を見殺しにした自分をずっと責め続けていた。

岩佐さんと親しくされていた
原爆症認定集団訴訟の全国弁護団長を務めた故 池田眞規弁護士は、

「一緒に酒を飲みに行くとね…
あの日の記憶がよみがえってきて
大きな声でわんわんと、
あの岩佐さんが泣くんだよ。
「母さん」って言いながらね‥‥
大の男が涙をボロボロ流しながら、
大声で…泣くんだよ…」

「里美ちゃん、その思い少しでもわかるかな?」
と、孫のような私にわかりやすく
岩佐さんの心を、被爆者の心を、
一生懸命に伝えてくださった。

被爆者の心に生涯寄り添い、
反核・平和への道を貫いた
池田眞規弁護士にとっても
被爆者との出会いが、岩佐幹三さんとの出会いが
弁護士魂を貫く覚悟となったのだろうと思う。


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初めてお会いした時から
30年以上の月日を経て…
今、改めて感じることが
あまりにもたくさんある。

本物の大人たちの
本当の声を聞きながら
その魂に触れた体験は、
ヒバクシャの思いを、
本当の平和を願い続ける人々の心を、
生涯伝え続けていこうと私が思う原動力となっている。

「長崎を最後の戦争被爆地に!」
声なき命の叫びが聞こえてくる‥


「原爆は人間に一生涯続けて
核兵器の被害というものを
背負わせるんだということをわかってほしい」

力を振り絞るように語る故 岩佐幹三さんの言葉がリフレインする。

NHK「ヒバクシャ からの手紙」岩佐幹三さん
https://www2.nhk.or.jp/archives/shogenarchives/no-more-hibakusha/archives/detail/?das_id=D0019020086_00000
posted by ぷらっとハッピー日記 at 10:40| 東京 ☀| 映画『いのちの音色』制作中! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする