2022年10月28日
「悠久のしらべ、日本の大地に根ざした雅楽との出会い」@浮輪寮
10/29(土)建築家の丸谷博男さんプロデュースによる里山MUSEUM・IDEA CENTER「浮輪寮」での雅楽の演奏が開催されます。
我々も取材で伺わせていただく予定です🎶
お申し込み連絡は、h.maruya@a-and-a.netへ
2022年10月26日
保護猫を家族に🎶
命くんもお世話になった埼玉県の「里親の会 川口」からやって来たニャンズ🎶
ちょっと見ない間にこんなに大きくなっていました。
ミューズスタッフの佐和ちゃん家でスクスク成長中🎶
※「里親の会 川口」の皆様は、様々な辛い・厳しい状況下に置かれた犬・猫が終生幸せになるための情報発信や里親の募集と共に不幸な命を減らすために野良猫のTNR活動などをされています。年間通して、毎週土曜日、日曜日の午後JR川口駅東口デッキ通路で、毎週(土)(日)に譲渡会を13時〜16時位まで開催されています。
「里親の会 川口」fb頁
https://www.facebook.com/satooyakawaguchi
厳しい状況にある動物たちが、どうか1匹でも幸せになりますように🎶
保護猫を家族に💓
「メディカルライブ 2022秋」 勝俣範之先生のサポートギターでしげ兄も出演します!
抗がん剤治療の第一人者としてご活躍されている腫瘍内科医でギタリストしげ兄さんの主治医でもある勝俣範之先生の「メディカルライブ 2022」が11月5日に開催されます🎸
弊社のしげ兄も勝俣先生のサポートギターで出演させていただきます。
皆様よろしくお願い申し上げます🎶
メディカルライブ 2022秋
〜シンプルライフ〜大切なものは少ない〜
日時:11月5日 13:30~(13:00開場)
参加費:1000円
出演者
勝俣範之(腫瘍内科医)、伊藤茂利(ギタリスト・がんサバイバー)、上野創(新聞記者・精巣腫瘍体験者)、木下寛也(緩和ケア医・精巣腫瘍体験者)、岩田有正(精神腫瘍医)、千田真稔(研修医)、鷲尾直子(舞)
申込方法(会場参加、オンライン参加どちらかを選んでください)
・会場参加(限定40名まで)
・オンライン参加「メディカルライブ フェイスブック」で検索
https://medical-live2022aut.peatix.com
会場:小黒恵子童謡記念館
神奈川県川崎市高津区諏訪3ー13ー8
東急田園都市線二子新地駅東口より徒歩約11分、高津駅西口より徒歩約13分
お申込み先:大井公子さん
E-mail kimikoooi@yahoo.co.jp
大きな蓮の葉っぱと命くん
2022年10月25日
核と戦争のない世界への展望を示す大作「迫りくる核戦争の危機と私たち」(著者・編者:大久保賢一/出版社:あけび書房)
歌と語りでヒロシマ・ナガサキを伝える「いのちの音色」ライブにご来場くださり、その後、弊社ミューズの里で初めて製作した映画『アオギリにたくして』でも大変お世話になり、いつも暖かく見守ってくださる大久保賢一弁護士の新しいご著書が出版されました!!
核戦争で人類絶滅の危機がある今こそ
核と戦争のない世界への展望を示す大作
『迫りくる核戦争の危機と私たち』
〜「絶滅危惧種」からの脱出のため〜
著者・編者:大久保賢一
出版社:あけび書房
https://akebishobo.com/products/nuclearwarfare
目 次
序 核戦争の危険性と私たちの任務
第1部 ロシアのウクライナ侵略を考える
第2部 米国の対中国政策と核政策
第3部 核兵器廃絶のために
第4部 核兵器廃絶と憲法9条
資 料 核兵器禁止条約の基礎知識
著者略歴
大久保賢一(おおくぼ・けんいち)
1947年、長野市生まれ。
1965年東北大学法学部入学
1971年法務省入省(人権擁護局等に勤務)
1979年弁護士登録 埼玉弁護士会所属
日本弁護士連合会憲法問題対策本部核兵器廃絶部会部会長
日本反核法律家協会会長
核兵器廃絶日本NGO連絡会共同代表
NPO法人ノーモア・ヒバクシャ記憶遺産を継承する会理事
非核の政府を求める会常任世話人
自由法曹団原発問題委員会委員長 など。
著書に『「核の時代」と戦争を終わらせるために』(学習の友社、2022年)、『「核兵器も戦争もない世界」を創る提案』(学習の友社、2021年)、『「核の時代」と憲法9条』(日本評論社、2019年)など。
2022年10月24日
中村哲医師のドキュメンタリー「荒野に希望の灯をともす」是非映画館へ!
2022年10月20日
はっぴぃドッグ
2022年10月18日
被爆アオギリに託された想いを奏で続ける
2022年10月12日
2022年10月11日
ロシア・ウクライナ戦争が一刻も早く終わりますように
これ以上ウクライナ人やロシア兵士の命を犠牲にしないために、
停戦の対話がなされることを願います。
対立を煽り軍事力が強化されていく中で
すでにたくさんの命が犠牲となっています。
西側諸国からの兵器支援により
ウクライナの戦果が報じられてる中、
ロシアによる核兵器使用のリスクが高まっています。
メディアが戦術核を「低出力」「小さな核兵器」「使える核兵器」などという表現で説明していることにも憤りを覚えます。その破壊力は、広島に投下された原爆と同規模やその何倍もの威力があるものもあり、決して使ってはならないものです。
「絶対に核兵器を使ってはならない!」
声を上げていくべき時にありながら…
いてもたってもいられず
とにかく今できることに
立ち向かっていこうと思います。
その一つとして、
被爆した一人の女性の半生を描いた
映画『アオギリにたくして』の上映をしていただけるところあれば、
スタッフと共にデーターを持って駆けつけます。
一人でも、二人でも、観たい方あれば遠慮なくご連絡ください。
昨日と今日、被爆者の方にもご相談させていただき、
日本で暮らす外国人の方に向けて
英語字幕版での上映も呼びかけていきたいと思います。
映画を上映したい方は遠慮なくご連絡ください。
連絡先:ミューズの里
E-mail: info@musevoice.com
映画「アオギリにたくして」公式HP
https://aogiri-movie.net
2022年10月10日
被爆の実相を伝え続ける上田紘治さん「再び被爆者をつくるな!」
東京・八王子市役所に隣接するビルの2階にある「八王子平和・原爆資料館」には、
原爆に関わる2000冊以上の書籍や写真集、証言集、こども向けの絵本などがあり、
原爆瓦や高熱で溶けたガラス瓶、被爆死した中学生の血染めの服など、
30平方メートルほどの部屋にぎっしりと資料が並んでいます。
制作中のドキュメンタリー映画「いのちの音色」にもご出演いただいている
八王子在住の上田紘治さんは、1997年からこの資料館を有志の方々と共に自主運営する一人で、
3歳の時に広島で被爆されました。
上田さんの本籍地は、爆心地から400m以内で、現在の平和公園内にありました。
広島平和記念資料館には、
当時爆心心地に住んでいた住居表があり、
上田さんの家も表示されています。
「原爆の爆発の瞬間、地上600m上空で7000〜8000度。
爆心地(500m内)で3000〜4000度。
ちなみに太陽の表面温度が6000度です。
原爆投下時は10km離れていたので現在の私があります…」
と語る上田さんの一番の願いは、
「再び被爆者をつくるな!」
その思いを胸に、
核兵器なき世界に向けて
全力を尽くしておられます。
この夏の暑さで少し体調を崩されていましたが、
昨日と今日はお電話でお話しさせていただき
お元気なお声をお聞きして
とても嬉しくホッとしました。
アオギリの語り部と呼ばれた故 沼田鈴子さんがお元気だった頃には何度も訪れていた沖縄へ、上田さんと共に伺わせていただいた映像を見ながら、これまでの日々を振り返りつつ編集作業を進めています。
2022年10月04日
声なきいのちの叫びを胸に…「長崎を最後の戦争被爆地に!」
戦争はある日突然始まるものではない。
ドキュメンタリー映画「いのちの音色」を制作しながら…
被爆者の故・岩佐幹三さんの言葉が、まるで今のことのように聞こえてくる。
2015年に撮影させていただいた時、
あの時の岩佐さんの思いを、
私はどれだけ受け止められていただろう…
「ロシアのプーチンさんは、
クリミアで核兵器を使おうと言っている。
それは何を意味するか…
核兵器を持っているということが核抑止力になると言っているが、違うんです!
もう核抑止力にはならないよ!使うよ!と言っているんだ!」
今年2022年、ロシアのウクライナ侵略が報じられ
再び核兵器使用への威嚇がなされている。
7年前に撮影させていただいた時、
岩佐さんはストックホルム・アピールを思い出されながら…
「人類が再び核兵器の被害にあわないためには
私たち一人一人が、核兵器をなくせという声を、
核兵器をなくせ! もうこれ以上被害を作るな!という運動を高め盛り上げていってほしい」
と強い危機感を示されていた。
岩佐幹三さん(金沢大学名誉教授)は広島で16歳の時に被爆した。1960年に石川県で「原爆被災者友の会」を設立。被爆証言の収集や保存に取り組み、日本被団協の元代表委員を務め、2016年には日本被団協の代表者3人の1人としてオバマ前米大統領の広島訪問に立ち会った。「ヒバクシャ国際署名」の呼び掛け人を務め、生きている間に核兵器廃絶を見届けたいと核兵器なき世界の実現に向けて最後まで活動されていた。2020年9月7日、岩佐さんは91歳ですい臓がんで亡くなった。
私に被爆体験を話すときはいつも淡々と語る岩佐さんだが、
原爆で自宅の下敷きになった母を見殺しにした自分をずっと責め続けていた。
岩佐さんと親しくされていた
原爆症認定集団訴訟の全国弁護団長を務めた故 池田眞規弁護士は、
「一緒に酒を飲みに行くとね…
あの日の記憶がよみがえってきて
大きな声でわんわんと、
あの岩佐さんが泣くんだよ。
「母さん」って言いながらね‥‥
大の男が涙をボロボロ流しながら、
大声で…泣くんだよ…」
「里美ちゃん、その思い少しでもわかるかな?」
と、孫のような私にわかりやすく
岩佐さんの心を、被爆者の心を、
一生懸命に伝えてくださった。
被爆者の心に生涯寄り添い、
反核・平和への道を貫いた
池田眞規弁護士にとっても
被爆者との出会いが、岩佐幹三さんとの出会いが
弁護士魂を貫く覚悟となったのだろうと思う。
初めてお会いした時から
30年以上の月日を経て…
今、改めて感じることが
あまりにもたくさんある。
本物の大人たちの
本当の声を聞きながら
その魂に触れた体験は、
ヒバクシャの思いを、
本当の平和を願い続ける人々の心を、
生涯伝え続けていこうと私が思う原動力となっている。
「長崎を最後の戦争被爆地に!」
声なき命の叫びが聞こえてくる‥
「原爆は人間に一生涯続けて
核兵器の被害というものを
背負わせるんだということをわかってほしい」
力を振り絞るように語る故 岩佐幹三さんの言葉がリフレインする。
NHK「ヒバクシャ からの手紙」岩佐幹三さん
https://www2.nhk.or.jp/archives/shogenarchives/no-more-hibakusha/archives/detail/?das_id=D0019020086_00000