2022年09月30日
漫画で描き続けた被爆者の戦後「おり鶴さん」西山 進 著
この夏の、オンライン「アオギリ祭り」にビデオ・メッセージを寄せてくださり、またドキュメンタリー映画『いのちの音色』でも撮影させていただいている西本多美子さん(元「石川県原爆被災者友の会」会長)から、漫画で描き続けた被爆者の戦後「おり鶴さん」(西山進著)が届きました。
被爆者の全国組織「日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)」に40年以上連載された4コマ漫画を一冊の本にし、被団協の歴史を後世に残す最後の本として世に出したいと、西本多美子さんら有志3人が「おり鶴さん」編集・出版委員会を立ち上げお金を出し合ってつくり、被爆77年の今年8月9日に出版されました。わずか4コマの中に、被爆者運動、時の政府の姿勢や対応、世界の動き、平和を巡る動きが描かれています。
今は94歳になられた「おり鶴さん」の著者 西山進さんは、17歳の夏、養成校として働いていた三菱重工長崎造船所で被爆されました。
生き地獄を見た西山さんは、「二度と戦争と原爆の参加をこの地球上にもたらしてはならない」と未来への希望をおり鶴に乗せて描き続けました。
この本の最後に西山進さんの被爆体験も掲載されています。
▲ 漫画で描き続けた被爆者の戦後「おり鶴さん」西山 進 著 (出版社:書肆侃侃房)
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2022年09月29日
被爆者運動を支え続けた伊藤直子さん
10年以上に渡る撮影データーを
今一度見直しながら、
弊社ミューズの里の第3作目となる
ドキュメンタリー映画「いのちの音色」を制作中です。
▲右:伊藤直子さん 左:西本多美子さん
今は亡き伊藤直子さんの映像を見ながら涙がこぼれます。
伊藤直子さんは、全国の被爆者の会の協議会である「日本被団協」の事務局員・日本被団協中央相談所の相談員などをつとめ、被爆者の運動をずっと支え続けてこられました。
私が伊藤直子さんと初めてお会いしたのは、37年前でした。渡航費は自己負担し、アメリカでホームステイしながら、米国の学校の歴史の授業や教会などでヒロシマ・ナガサキを伝える日米民間外交プロジェクト「ネバー・アゲイン・キャンペン」のボランティア活動に参加させていただくことになり、アオギリの語り部と呼ばれた沼田鈴子さんはじめ、広島・長崎でたくさんの被爆者の方々との出会いをいただきました。
広島・長崎だけでなく、
自分の住む東京にも被爆者の方がおられることを伊藤直子さんに教えていただき、
お話を伺う機会をつくってくださいました。
ヒロシマ・ナガサキは教科書の中の過去の出来事としか思ってなかった私は、
自宅から歩いて数十分のところに被爆者の方が住んでいることを知り、被爆者の方からお話を直接伺うことで、いかに自分が何も知らずに生きていたことを知りました。
核兵器の廃絶をめざす被爆者の運動を
ずっと支え続けた伊藤直子さん。
どんな思いで被爆者の心に寄り添ってこられたのか…
被爆者運動から見えてくる
人間・命の尊厳と平和への希望に
深い感銘を覚えます。
▲あの時、直子さんと一緒に訪れた金沢の被爆アオギリ2世がこんなに大きくなっています。ご案内くださった被爆者の西本多美子さんと今年の被爆アオギリ🌱
2022年09月27日
アオギリの語り部と呼ばれた故・沼田鈴子さんの言葉「平和の原点は、相手の痛みのわかる心を持つ人間であること」「真実を求める知恵が、平和をつくる大切な力になる」
ドキュメンタリー映画「いのちの音色」制作中〜🎶
本日は、
アオギリの語り部と呼ばれた
被爆者の故・沼田鈴子さんが
何度か訪れた北海道の苫小牧で
元気に育つ被爆アオギリ2世の
データーをもう一度見直しています。
2015年に撮影させていただいた
沼田さんと交流を続けてこられた
松本昌恵さんのお話、
そして、松本さんが大切にされている
沼田さんの言葉などを撮影したデータを
視聴しながら編集を行なっています。
・平和の原点は、相手の痛みのわかる心を持つ人間であること。
・真実を求める知恵が、平和をつくる大切な力になる。
〜2002年9月12日 苫小牧を訪れて 沼田鈴子〜
「被爆体験を語ること。
それは、一粒の平和への種まきなのです」
と生前語っていた沼田鈴子さん。
戦争の被害と加害を
しっかりと見つめながら
「自分と同じ苦しみを
世界中の誰にもさせたくない」
という強い信念のもと、
被爆体験を語り継いでおられました。
「知らないことも罪である」
という沼田さんの言葉に、
松本さんは、それまでの自分の生き方を見つめ直していったのだと言います。
沼田さんがが亡くなられて、
今年で11年という月日が流れました。
もし今、沼田さんが生きておられたら
今の日本を、そして世界をどう思われるのだろう…
と考えながら今日1日を過ごしました。
希望と平和の種を世界へ!
Seeds of Hope & Peace!
「碑に誓う〜中学生のヒロシマ修学旅行〜」江口保著(東研出版)
2022年09月26日
岩佐幹三先生「被爆者という人間はいない。皆さんと同じ普通の人間が、被爆者という運命を背負わされたのです」
コロナ禍で制作の遅れていた
ドキュメンタリー映画「いのちの音色」ですが
この夏より撮影を再開し
この秋から編集に集中しています。
今日は、2015年に撮影させていただき、
大変お世話になった被爆者の故・岩佐幹三先生のインタビューを再度視聴していました。
「被爆者という人間はいない。
皆さんと同じ普通の人間が、
被爆者という運命を背負わされたのです。
核兵器というものは、
人間に一生涯、原爆の被害というものを
背負わされるんだということをわかって欲しい。
皆さん方がいつヒバクシャ になるかわからないということを、
そういう自分の問題として考えていただいて、
核兵器廃絶の運動を高めていただきたい。」
魂を込めて語る岩佐先生。
さらに続く岩佐先生のお話の内容は
今を予見していたかの様で‥‥
岩佐幹三先生と初めて出会った30年以上前の
20代だった若き日を思い返しながら…
今私たちが果たすべきことは何かを改めて考えています。
今は亡き岩佐先生の想いを伝えていける作品となるよう全力を尽くします。
🎬「いのちの音色」制作に全力で
取り組んでまいります。
筋トレとストレッチ!!
2022年09月15日
ドキュメンタリー映画「いのちの音色」編集中!
この秋は、コロナ禍で延期されていた
ドキュメンタリー映画「いのちの音色」の制作に集中していきます。
追加撮影がさらにまだ少し必要ですが、
すでに撮影を終えている
膨大なデーターをさらにもう一度見直しながらの日々が続いています。
本日は、アオギリの語り部と呼ばれた広島の被爆者・故沼田鈴子さんと一緒にマレーシア、中国、韓国などアジアの国々への慰霊の旅をされた画家の吉野誠さんのご自宅を訪れ、以前撮影させていただいた時のインタビュー動画を何度も見直しています。
広島県内の公立中学校で美術教諭を務めておられた吉野さんは、平和教育にも力を注ぎながら画家として活躍されてきました。吉野さんは1933年生まれで、1944年の11歳の時に一家で開拓団として旧満州に移住しました。日本敗戦後の生き地獄のような日々を経て1946年7月に帰国するまでの生き地獄のような日々の中で、自殺を考えることもあったと言います。そんな吉野さんを救ったのは、夜空に輝く月でした。
アルミアートの創作でも知られている吉野さんは、
捨てられた缶に旧満州で命を落とした開拓民の姿を重ねながら、
生きるか死ぬかの日々の中で見た夜空に浮かぶ月の光を
アルミ板の光とも重ねて制作しています。
吉野さんの絵画によく用いられている白や灰色は、
死者の骨の色をイメージしています。
作品に描かれている破られた紙は、
紙切れのように粗末にされた命…。
吉野さんが美術教諭をしていた時、全校生徒でつくったという木彫「いのちの叫び」が丸木美術館に寄贈されています。若い頃、まだ丸木位里・俊ご夫妻がご存命だった頃、お話を伺いに美術館を訪れた時、その木彫についてお話くださった記憶があり、久々にもう一度丸木美術館に行ってみたいと思います。
まだまだ続く編集作業ですが、
これまでお世話になった方々の思いを伝えていける作品となるよう精一杯取り組んでまいります。
2022年09月08日
松田昭男氏「映画館から平和を考える」第七藝術劇場・シアターセブン 代表【YouTube】
有限会社 第七藝術劇場の代表取締役で、シアターセブン代表でもある松田昭男氏(1936年6月18日生まれ)にご登壇いただき、この夏8月6日に開催されたシアターセブンでの「アオギリ祭り」にて、「映画館から平和を考える」をテーマにお話しいただきました。
ジャーナリズムの一端を担うミニシアターの存在について、その果たすべき役割と未来、そしてご自身の夢について熱く語ってくださった松田代表に心より深く感謝申し上げます。
※下記YouTubeチャンネル「ミューズの里」に当日のトークライブの様子が公開されました。是非、ご視聴ください♬
▼YouTube 松田昭男氏「映画館から平和を考える」
URL→https://www.youtube.com/watch?v=t6fide6iWFY&feature=share&si=ELPmzJkDCLju2KnD5oyZMQ
トークゲスト:松田昭男氏(第七藝術劇場・淀川文化創造館シアターセブン 代表)
司会・コーディネーター:中村里美・伊藤茂利(映画製作者・ミュージシャン)
収録日:2022年8月6日
収録場所:淀川文化創造館シアターセブン
2022年09月07日
9/23 衣笠邦彦さん主催の第3回アオギリ映画祭り(パート2)
大分の衣笠邦彦さんが国見に続いて国東で開催する
第3回アオギリ映画祭り〜パート2〜
アストくにさき中会議室にて、9月23日に開催されます。
国東のおばあさんから
「映画を是非観たい〜」と衣笠さんに連絡が入り、
コロナ禍で集客も難しい中、
「たった一人でも観たいという人がいるならば!」と国見に続き国東でも開催を決意!
衣笠さんの心意気に乾杯!
まさに同じ志で上映活動を続けてきた者として、
衣笠さんの言葉がジーンと深く心に響きます。
9月23日(午前10時)より、
弊社ミューズの里の初プロデュース映画
「アオギリにたくして」も上映されます。
衣笠建具製作所の代表でもあり、
田んぼも耕しながら、
劇団の座長として、役者として、大活躍の衣笠さん!
と、このブログを書いていたら、
なんと今!ミューズの里のオフィスに
衣笠さんが丹精込めて育った無農薬の「くんち米」が届いてびっくり!!
感謝!感謝です!!
只今、現在制作中のドキュメンタリー映画「いのちの音色」編集中♬
ここから数ヶ月、かなりハードな日々が続きますが、
「くんち米」食べて、がんばります!!
2022年09月05日
高尾具成記者との再会
この夏、シアターセブンで開催された「アオギリ祭り」で久々に大阪へ行った際、毎日新聞の高尾具成記者が会いにきてくださいました。
共にヒロシマ・ナガサキを映画や音楽で伝え続ける
ギタリストしげ兄(伊藤茂利)の取材をその時にしてくださり、
掲載された記事が先日送られてきました。
しげ兄さんがギターの道へとすすむきっかけとなった
ジャズピアニストの故マル・ウォルドロンさんとのエピソードなど
高尾さんならではのとても素敵な記事でした。
昨夜は、高尾さんが送ってくださった新聞を持って
しげ兄と共に木村巴画伯のお家へ。
心と体が癒される木村画伯の手料理に舌鼓を打ちながら、
ジャズにも精通されている旦那様に記事を読んでいただき
なんとも素敵な時を過ごしました。
毎日新聞デジタル版「ヒロシマを奏で続ける」
https://mainichi.jp/articles/20220829/ddf/012/070/006000c
高尾さんと初めて会ったのは2007年の夏でした。
まだ、弊社ミューズの里を設立する前のことでした。
世界の言葉に翻訳され出版されている
被団協のHIBAKUSYAという冊子を
シンハラ語とタミール語と英語の三ヶ国語併記により
スリランカ文部省の協力で出版していただけることになり、
その時に記事を書いてくださったのが最初の出会いでした。
https://nakamurasatomi.seesaa.net/article/52240682.html
あれから15年という歳月が流れていることに少々驚きながら…
これまでを振り返る時、
いろんな場面で、高尾さんが取材に来てくださいました。
そして、高尾さんの記者魂に触れるたびに刺激され、
会うたびに無性に嬉しくなります。
昨年はしげ兄の癌の再発もありましたが、
この春の検査で画像から癌が消えて
この夏からの再出発!
高尾さんに会えてよかった。
以前よりスピードが落ちていますが、
もう一度、ここから出発していきます!!