2022年07月22日
被爆者の上田紘治さんからのメッセージ
皆様にご支援・ご協力いただき
浮輪寮での第1回アオギリ祭りを無事終えることができました。
改めて心より深く感謝申し上げます。
初日の7月16日にお話いただく予定だった被爆者の上田紘治さんが、体調不良のため今回はご参加できなくなりましたが、皆様へのメッセージが寄せられ、当日は、弊社の伊藤茂利が代読させていただきました。下記にシェアさせていただきます。1日も早く上田さんがお元気になられることをみんなで祈っています🙏
被爆者の上田紘治さんからのメッセージ
被爆者は、被爆の実相を話す機会を一番望んでいます。それは、平和につながる一番の近道だからです。被爆者の体験を皆さんが聞き「それでも核兵器は必要だ」と考える方は今まで一人も出会ったことがありません。アメリカでラジオ出演、教会や退役軍人会、核兵器を作っているロスアラモスの地、大学、高校など何回か話す機会がありましたが、どの場所に行っても必ず「パールハーバはどう思うか?」と質問があります。私は加害責任として率直に謝罪し、被爆の実相を話すのですが、話し終えた後は必ず私のところに近寄り、中には涙いっぱい貯め「ハグ」されます。通訳の方が涙で中断することもあります。ここに人間の素晴らしさがあるのではないでしょうか。
核兵器禁止条約が昨年1月国際条約となり、先月には第1回締約国会議は開かれました。
「核抑止論」を否定しNPTとの車の両輪の役割も期待し、人類史にとって画期的な出来事です。
これまで平和を求める多くの方々、命を懸けて核兵器禁止のために生涯を尽くして亡くなった被爆者の事を思うと胸がいっぱいです。
被爆者も平均年齢は84歳となり残り少なくなりましたが生きているうちに是非、核兵器廃絶を皆さんとの共に実現したく思います。
今回、折角の機会を体調不良から辞退することになり、大変申し訳なく残念な思いでいっぱいです。
6月末から続いた猛暑と加齢が原因ですが、体験したことのない倦怠感と疲労などで今、健康回復を第一優先としました。
ここ数日の過ごし易い陽気で回復のピッチは確実に上っていると実感しています。
また機会を作っていただき、お会い出来ることを楽しみにしています。
(広島で3歳被被爆 八王子市在住)上田紘治
本籍地は爆心地から400m以内で現在の平和公園内。広島平和記念資料館には当時爆心心地に住んでいた住居表があり、我が家も表示されています。地上600m上空で7000〜8000度。爆心地(500m内)で3000=〜4000度。ちなみに太陽の表面温度は6000度です。原爆投下時は10Km離れていたので現在の私があります。