2022年04月27日

胸に手を当てて考えよう


人生の中で、時には争いが起きることもあるでしょう。でも、どんな時も絶対に暴力に訴えることはしないと強く信念を持って生きている人と、そうでない人には大きな違いを感じます。

私が、自由や平等や平和に関心を持つようになったのは、暴言・暴力で人を黙らせようとする人と、どんな時も一度も声を荒げることのない両極端の人々を垣間見ながら育ってきたからなのだろうと思います。

傷つきくじけそうになっても、何回でも立ち上がり、大切に思うことを大切にしながら今日まで生きてこれたのは、国を超えて非暴力を貫いて生きる人々との魂の触れ合いの中で、人間の素晴らしさを心底感じる瞬間を何度もいただいてきたからだとつくづく感じます。

人と人が殺し合う戦争・・・
戦争のない世界をつくる上で、非暴力・平和主義を貫く世界のリーダーが育っていくよう心から祈っています。

先日、初めて北御門二郎さんのことを本で知りました。
会いたかった。もし生きておられたら、今すぐにでも会いに行きたいと心から思いました。

北御門二郎さんは、ロシアの文豪・トルストイ 研究の第一人者で、トルストイ作品の翻訳者として知られています。

是非、皆さんに読んでほしい一冊です。

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▲「北御門二郎 魂の自由を求めて」トルストイに魅せられた良心的兵役拒否者(ぶな葉一著/銀の鈴社)


「翻訳に大切なことは、原書に感動し、読者とその喜びを分かち合いたいと思うこと、だからトルストイが涙して書いたところは、私も泣いて訳します」

北御門さんは、まさにトルストイの魂を生きた方なのだと思います。旧制高校1年生の17歳の時、トルストイ の『人は何で生きるか』を読んで感動し、『イワンの馬鹿』の中にある絶対非暴力、絶対平和の思想に心を揺り動かされた北御門さんは、東京帝国大学(現・東京大学)英文科を退学後、日本国中が戦争に向かって熱狂していた時代の中で「人は人を殺すために生まれてきたのではない」と逮捕・拷問・死を覚悟で徴兵を拒否し、奇跡的に命を永らえます。戦前の徴兵制がどのようであったかを知る人には、その行為がいかに命がけのものであったか‥‥大変な覚悟がいることでした。

その後、昔ながらの堆肥で栽培した完全無農薬のお米や野菜を育てながら「農業が一番罪がない」と熊本県湯山の山奥で、妻と共に農業者として生きていた北御門さんがトルストイ の翻訳に取りかかったのは50歳近くになってからです。

現在、3作目のドキュメンタリー映画『いのちの音色』編集制作に追われる日々の中、待ち時間や寝る前に少しずつ北御門さんが翻訳されたトルストイの本を読む楽しみをいただいています。

1853年のクリミア戦争に将校として従軍し最激戦地での体験からトルストイ は、非暴力、平和主義者として生き始めます。

今から118年前の1904年に日露戦争が始まった時、人間同士が殺し合うことの愚かさを訴え、『胸に手を当てて考えよう(日露戦争論)』を発表しました。「北御門二郎 魂の自由を求めて」からトルストイの言葉を抜粋させていただきます。


レフ・トルストイ『胸に手を当てて考えよう(日露戦争論)』
「またもや戦争、またもや誰にも必要のない苦しみ、またもや人々こぞっての凶暴化。一方は人間のみならず、動物さえも殺すことを禁じている仏教の信徒。もう一方は隣人愛を説くキリスト教徒。まるで釈迦など、イエス・キリストなど、いなかったかのように。彼ら民衆は、煽られ、駆り立てられ、自分の畑から引き離され、まだ見たこともない、まして憎んだこともない相手をもとめて、傷付けあい、苦しめあい、殺し合う為に戦場に出かけていく。これはいったいどうしたことだろう…。恐ろしいことには自分は戦争の危険にさらされることもないまま、戦争を唱導し、敵意を煽り、多くの若者を戦地に送ろうとする指導者や知識人、言論人と称する者が、ますますのさばり蔓延る(はびこる)ことだ。」「それほど戦いたければ、命を懸けてゆけと命じた皇帝、大臣、将軍、そして、愛国心を煽り扇動する言論人に、教養人と称する者、投資家たちよ。まずあなたたちが行けばよい。自分の家でぬくぬくとしてないで、未来のある若者を死に追いやる代わりに。」


地球上で何度も繰り返されてきた戦争・内戦・紛争。
人と人が殺し合うことのない世界をつくるために
どう生きるのか?

胸に手を当てて考えてみよう。
自分はどう生きるのかを。

日々への感謝と共に。
posted by ぷらっとハッピー日記 at 07:49| 東京 ☔| ぷらっと日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする