外波山さんが、ゴールデン街「クラクラ」の店主もされているとお聞きして、とても懐かしく、勝手に親近感を感じていました。

かれこれ30年程前になるかと思いますが、ゴールデン街の「花の木」というお店を週末の昼間にお借りして、インターナショナル・トーク・パーティーを企画していたことがあります。通常は10人もお客さんが入れば満席ですが、留学生や日本でビジネスをする外国の方々でいっぱいとなり、カウンターの中も外も全員立ったままで50人近くが入って満員電車のようでした。
今では、訪日外国人が多く訪れる観光地とも言われるようになったゴールデン街ですが、当時は新宿を訪れるほとんどの外国人の方はその場所さえ知らなかったのではないかと思います。バブル期の地上げ騒動でお店が半減していたこともあり、存続が大変な時だったように記憶しています。
私はいろんな側面を持っている混沌とした新宿という街が好きでした。そしてなぜゴールデン街だったかと言うと、発展していく新宿の中で、戦後の面影がそのまま残っている数少ない場所として興味を惹かれました。
そして、もう一つ、当時まだ若かった私に刺激を与えたのは、ママの人間力と人が集い文化が育まれつくられていく匂いでした。
形から入りすぎている自分にさえ気がつかず、出来ない理由を知らずに口にしていた20代。「そうじゃないよな」と私に教えてくれたのがゴールデン街の存在でした。
当時、花の木のママが、お店の常連さんたちと共に花の木連をつくり、高円寺の阿波踊りに参加されていたことから、花の木連の中に多国籍の外国人連をつくっていただき一緒に参加させていただいたことも忘れられない思い出です。
外波山文明さんの「私の東京物語」。毎日、楽しみにしています。