2017年01月13日

ネバー・アゲイン・キャンペーン創始者のドナルド・レイスロップ教授からのメッセージ

米国バークシャーの地元紙にネバー・アゲイン・キャンペーン(NAC)創始者で平和学のドナルド・レイスロップ(元)教授の投稿された記事が掲載され、NAC広島の中村朋子様が和訳をお送りくださいました。

<<トランプ氏の指を核のボタンに触れさせるな−キャンペーン>>
投稿者:ドナルド・レイスロップ氏 Donald Lathrop, Canaan, N.Y. 平和学。ネバーアゲイン
キャンペーン創始者。
掲載誌: The Berkshire Eagle. Friday, January 6, 2017
http://www.berkshireeagle.com/stories/letter-keep-trumps-fingeroff-nuclear-button,494291

多くの人が、次期大統領の起こしかねない行動に強い不安を抱いています。気候変動、保険料で
負担可能な医療費、上質な公教育、経済格差、さらに多くの課題に関して、今後どうなるのか
と大きな懸念を持って成り行きを見守っています。
その上、次期大統領の核兵器に対する考えに私たちは対処しなければならないと思うとぞっと
するのです。オバマ大統領が、地球上の生命を脅かすほどの核保有量を削減するために努力
したことを私は評価します。その一方でなぜオバマ政権は向こう30年間、より精巧な核兵器と
運搬システムを開発するために概算1兆ドル以上の予算計上に同意したのか、私には理解
できません。
次期大統領は大統領選中の論争で、「我々が核兵器を持っているならそれらを使うべきだ」と
考えているように見受けられました。また三元戦略核戦力、すなわち大陸間弾道ミサイル、
弾道ミサイル搭載潜水艦、巡航ミサイル搭載戦略爆撃機の維持コストの負担増に関して無知
であるように思えます。彼は日本や韓国をはじめ他国も核兵器を保有すべきだとも考えて
いるのです。
アクシデントによる、または相手国からの攻撃だと誤認しての緊急呼びかけが、かつて米国と
旧ソ連間で起った危機一髪を思い起こすと、地球上にこのような恐ろしい兵器を単に多量に
保有するだけでも、国家間の恐怖に対する対応としては穏やかではないことを示唆しています。
巷で言われている“insanity (狂気) ” の法的な定義は、「被告が自分の告発された行為の
良し悪しが分からなくなる、またはその罪を犯した時、行為の本質に気付かなくなるほどに
心的な機能不全に陥っている状態」を言います (American Heritage Dictionary)。完全に報復の
用意ができている国家に対して、人類の文明を破壊するかもしれない兵器を発射する者は狂気の
沙汰です。

私の懸念に共感した人は以下の署名サイトをクリックしてください。
PETITION: Keep Donald Trump’s Finger off the Nuclear Button:
http://www.ploughshares.org/keep-donald-trumps-finger-off-nuclear-button


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2016年12月09日

真珠湾攻撃から75年、今思うこと

7日、オバマ米大統領は、真珠湾攻撃75周年にあたって、「最大の敵国ですら、最も緊密な同盟国になれるという証しとして、今月末、安倍晋三首相とアリゾナ記念館を訪れるのを楽しみにしている」と述べ、首相の真珠湾訪問を歓迎し、「この歴史的訪問は、和解の力と、75年前は想像もできなかった同盟で結ばれた日米が、世界の平和と安定のために手を携えて協力していくことを示すものになる」と強調したと報じられた。


トランプ次期大統領は、「不名誉な記憶として残る75年前に、真珠湾で犠牲となった米国人の英雄に思いをはせる」「米国の敵は75年間で変わったが、平和の追求には、勝利に代わるものはない」と述べ、安倍首相の真珠湾訪問や日米同盟については言及しなかったという。


アメリカの大統領が広島を訪れ、日本の総理大臣がパールハーバーを訪れることには大変意義があり、もっと早くなされるべきことだったかもしれないとさえ思う。


しかし、一方でパールハーバーと広島・長崎への原爆投下を対にして考えることで、原爆投下そのものが肯定化されていく危うさに繋がっていかないことを心から祈る。


そして、心から思う。
Never again Pearl Harbor! 
Never again Hiroshima! 
Never again Nagasaki! 
Never again war!


戦争当日のアメリカの日本への憎しみに満ちた報道映像を見た時の印象が、今のアメリカが敵対視する国々に対しての向けられる憎悪のエネルギーと同じように感じられ、なんとも言えない気持ちになる時がある。日本も同じく、最大の敵国だったアメリカにかつて抱いていたのと同じような憎悪の矛先を、今後その他の国に向かわせることのないようにと強く願う。憎悪を煽り、憎しみの連鎖が続き、争いの火種を生み出してしまう事のないように…。


共通の敵を作り出すことで、一致団結しているかのように思えても、本当の信頼関係など築けていない場合は人間社会の中でも多い。


「米国の敵は75年間で変わったが、平和の追求には、勝利に代わるものはない」というトランプ次期大統領の勝てば官軍的な考え方だけでは、これからの国際社会の平和を築くことは難しく、テロを拡大させていく可能性さえある。


それぞれの国の事情は異なる。単純に、アメリカと日本とのこれまでの関係を参考に、敵国としている国へのあり方を考えるなら、見誤ることが多々あるだろう。


キノコ雲の下にいたヒロシマ・ナガサキの被爆者の方々が、その後どんな思いで生きてきたのかを、世界はあまりに知らなすぎる。


世界の平和を願い「二度と再び自分と同じ苦しみを世界中の誰にもさせたくない」と祈る被爆者のメッセージに込められた深い思いを、我々は本当に理解できているのだろうか。


二度と戦争を起こさないために、私たちはどうすべきなのか?


二度とヒロシマ・ナガサキを繰り返さないために、私たちはどうすべきなのか?


小さな自分に出来る事はなんだろう?


アラスカ♪モノクロおりづる.jpg


より心豊かで、命の尊厳を大切にできる社会へと世界が成熟していくために…。


posted by 中村里美のぷらっとハッピー日記 at 00:51| 東京 ☀| ヒロシマ・ナガサキ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年11月30日

伊藤直子さん、池田眞規先生からいただいた たくさんの想いを胸に…

30年以上にも渡りお世話になった伊藤直子さんが11月3日に、そして11月13日に池田眞規先生が亡くなられました。

広島・長崎の被爆者の方々に寄り添って人生を歩まれたお二人が、相次いで亡くなられたことを知り、心にぽっかり穴が開いて、この悲しみをどの様に自分の中で整理したらいいのかわからないまま、11月が終わろうとしています。


ちょうどオフィスの引越しを翌日に控えて、上映会とも重なり、体調を崩しながら、あまりにも忙しかった時期と重なり、呑田務さんからいただいたメールのお知らせを見たのが遅くなってしまいました。お二人が亡くなられたことを知った後も、あまりのショックでしばらく言葉になりませんでした…。


ヒロシマ・ナガサキは教科書の中の過去の出来事としか思ってなかった私が、30年以上前に、たまたま応募した草の根ボランティア活動「ネバー・アゲイン・キャンペーン」の第1期民間大使として一年間渡米することになり、被爆者の方々の証言を聞くために一番最初にご相談に伺ったのが伊藤直子さんでした。


伊藤直子さんは、日本被団協事務局員および、日本被団協原爆被爆者中央相談所相談員として勤められ、定年退職後も、社団法人中央相談所理事、社団法人解散後は中央相談所委員会委員として、日本被団協の相談活動に貢献されました。


21歳の時「ネバー・アゲイン・キャンペーン」代表の北浦葉子さんから「伊藤さんに嫌われたらもう終わりなのよ!」と何度も厳しく言われ、言われている意味もよくわからないまま、不勉強でヒロシマ・ナガサキのことを何も知らず、平和について改めて考えてみたこともなかった私は、ビクビクしながらご挨拶しに伺いました。お会いすると、それだけ北浦葉子さんが信頼された方なのだということがすぐにわかりました。


伊藤直子さんに初めてお会いした時、厳しい眼差しの中にある誠実で真剣な思いと、現実をしっかりと受け止めながらも、負けずに力強く生きていくことの大切さを知り、直子さんから滲み出てくる優しさに、理想と希望を持って生きることの偉大さのようなものを感じたことを覚えています。そして、直子さんは、戦後生まれで戦争体験も原爆の体験もない者たちが語り継いでいくことの大切さを語ってくださいました。


「体験のない者に一体何が伝えられるのだろう?」と、渡米が決まった後も不案でいっぱいだった私にとって、伊藤直子さんの存在はとても厳しくもあり、そしてとても力強いものでした。


直子さんと最後にお会いしたのは、昨年の夏。石川県文教会館ホールで開催された映画「アオギリにたくして」上映会と、歌と語りで伝える「いのちの音色」中村里美&伊藤茂利ライブでした。石川県原爆被災者友の会会長の西本多美子さんはじめ皆様が企画してくださった上映会とライブに被爆者の岩佐幹三先生ご夫妻と共に東京から杖をつき足を引きづりながらも駆けつけてくださいました。


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▲昨年2015年7月27日、石川県での上映&ライブに来てくださった伊藤直子さん(左)
昨年夏に行われた石川県で初の「アオギリにたくして」上映を前に、昨年4月、広島市から送られて来た被爆アオギリ2世が、眼下に金沢の街が広がり、晴れた日には日本海まで見渡すことのできる壮大な眺めの大乗寺丘陵公園に植樹されました。被爆者の西村多美子さんに案内いただき今は亡き伊藤直子さんと共に、植樹した被爆アオギリに会いに、夏の上映会&ライブの翌日(2015年7月27日)みんなで一緒に行ったのが、直子さんとの最後となりました。


未だに勉強不足な私を、いつも大きな心で受け止めて、見守りながら応援してくださいました。


この6月にアメリカでの「アオギリにたくして」上映を行い、来年再渡米していくにあたって直子さんに会ってお伺いしたいたくさんのことがありました。今年の上映会がようやく少し一段落し、直子さんに会いにいつお伺いしようかと思っていた時でもありました。

直子さんは被爆者ではありません。「もともとは非行少年たちを更生させていく福祉の仕事をしたいと思っていた」という直子さん。たまたま大学卒業の時の就職で応募のあった被団協に就職され、当時まだ事務所ができたばかりの全国の被爆者の会の協議会である日本被団協の事務局に入り、日本被団協中央相談所の相談員もされながら、ずっと被爆者の方々と共に核兵器廃絶をめざしてがんばる被爆者の運動をかげからずっと支えてきた方です。直子さんの存在は、被爆者運動の中でとてもとても大きな存在だったのではないかと思います。そして、直子さんは体験のない我々が次の世代に語り継いでいくことの大切さをいつも語り、どんな時も応援し続けてくださいました。


直子さんが亡くなられてしまった…その悲しみがいえない時に、直子さんや被爆者の皆様と共に被爆者集団訴訟を戦ってこられた全国弁護団団長の池田眞規先生の訃報を受け取りました。池田先生にもこれまで大変お世話になり、いつも応援くださり、お話を聞かせてくださいました。世界から熱い視線が寄せられた「く」の字に曲がっている百里基地の誘導路のお話は、戦争の惨禍の再現を無条件に否定する信念を生活の中で貫いて戦ってきた人々の誠実さに我々が関心を持って真剣に学ぶことの大切さを教えていただきました。軍隊のない国コスタリカの平和教育について熱く語られ、被爆体験を伝えた時の感動的なお話を今も忘れることができません。いつかコスタリカに一緒に行って「アオギリにたくして」を上映をしましょう!とお話したのが最後となってしまいました。


常に被爆者の方々の心に寄り添われながら…
被爆者の皆様と共に、被爆者運動を支えてこられたお二人のご冥福を心よりお祈り申し上げます。


下記は、伊藤直子さんが映画「アオギリにたくして」製作に向けてたくしてくださった2012年12月のメッセージです。改めて読み返しながら、直子さんから受け取ったたくさんの想いを伝えていきたいと思います。


〜「アオギリにたくして」への期待と被爆者〜

広島・長崎に投下された原子爆弾に被爆して被爆者健康手帳を所持する被爆者は、2012年3月末210,830人となっています。この数字は被爆者健康手帳所持者が一番多かった32年前の1980年の372,264人から16万人を超える被爆者が亡くなられたことを示しています。平均年齢が77.44歳となっています。

近年被爆者の高齢化が叫ばれていますが、実体験をした被爆者が年々加速的に亡くなっていかれているのが現実です。

被爆者の一番少ない秋田県の被爆者健康手帳所持者は38人です。病気のため体験を語れる被爆者が本当に少なくなっています。また、高齢化に伴って認知症で体験を語れなくなってもいます。これは全国的に共通していることです。それだけに生存する被爆者の被爆体験を継承することは、急ぐ必要があります。継承のかたちは様々なものがあると思います。

中村里美さんの企画・プロデュースによる「アオギリにたくして」は、中村さんが被爆者沼田鈴子さんの被爆体験と被爆者としての戦後66年の人生を「継承」して、沼田さんの核兵器廃絶の願いを世界に発信しようとするものです。

1986年にアメリカで広島・長崎を伝えるネバーアゲインキャンペーンの第1期生となった中村さんは、出発前の準備の研修会で沼田さんと知り合ったということですが、多分彼女にとって初めての「被爆者」だったと思います。以来沼田さんがお亡くなりになられる直前まで親交を重ねられていました。

最近強く思うことですが、被爆者の体験は確かに深刻です。「かわいそうに」と同情しがちですが、深刻な体験を持つ被爆者たちの多くは元気だということです。それは病気をしたり、不安を抱きながらも67年生きてきたこと。自らの被爆体験を語ることで、小中学生などから感謝され、体験を語ることが生きがいとなっているからだと思います。悲しいこと、悔しいこと、苦しいことなどたくさんある中でも、被爆体験を語ることを通して、それが世界の平和につながっていること、目の前で子供たちが目を輝かせて聞いてくれることが喜びになっているのです。長く生きて、体験を語らなくてはとの思いが強くなっているようです。沼田さんもきっとそんな思いだったのではないでしょうか。沼田さんが原爆に抗うようになった姿は、たくさん被爆者に共通しています。被爆者の人間としての強さも見えてくると思います。「アオギリにたくして」が描く被爆者の戦後の人生を通して、核兵器廃絶への世論が、国際的なものになることを期待します。
 
伊藤直子(2012.12.25)


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2016年09月16日

日本山妙法寺の純さんと日本で再会〜!

先日、ニューヨーク州の Old Chathamで6月に行われたアメリカ上映会に、映画「アオギリにたくして」を観に来てくださり、とっても感動してくださった日本山妙法寺の純さんが日本に戻られた際に、ご連絡をくださいました〜!

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九段下のお寺に伺わせていただくと、「是非これからも世界での上映を!」と、純さんの熱く強い思いを伝えてくださり、今後のアメリカ上映に向けて身の引き締まる思いです。


「ガンディー 魂の言葉」の著者でもある浅井住職さまともお話させていただき、一緒にお夕食までご馳走になり、大変ありがとうございました。


また、お会い出来る日を楽しみにしています〜♪








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2016年08月27日

30年ぶりの映画『ホピの予言』

「ホピ」は、アメリカ先住民のホピ族のことで、「ホピ」は「平和」という意味です。

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映画「ホピの予言」は、1986年に製作された作品で、その1986年という年は、私がアメリカにヒロシマ・ナガサキの被爆者のメッセージを届けに行った年でもあります。


それは、アメリカに行く前だったのか、帰ってきてからのことだったかはよく覚えていませんが、たぶん私は原宿で観たような記憶があります。とにかく30年ほど前に、いろんなところで自主上映されていたと記憶するのがこの「ホピの予言」という映画です。


あれから30年たっているとはびっくりですが、この「ホピの予言」という映画のDVDを、先日「アオギリにたくして」上映会と「いのちの音色」ライヴでお世話になった島根県の「雲南アオギリ会」の三瓶裕美さんが持っておられ、借してくださり、本日東京のオフィスで30年ぶりに観ました。


偉大なる精霊からの教えを2000年以上に渡って部族の間で語り継いできたホピは、広島と長崎の原爆投下を、ホピの予言の中に伝わる「灰のびっしりつまったヒョウタン」と解釈し、予言が語る人類への警告を世界に発信し始めます。ホピのいう平和は、母なる大地に生きる全ての生命との調和にあり、それはアメリカ先住民に共通する世界観でもあります。


映画「ホピの予言」の中に、お母さんのお腹の中にいた時に原爆にあい、小頭症として生まれた畠中百合子さんと今は亡きお父さんの国三さんが登場しています。


散髪屋さんをされていた畠中国三さんのお家に、百合子さんに会いに伺ったのは、私が22才の時。1986年の夏のことでした。

その時にお伺いしたお話を、今でも、歌と語りで伝える「いのちの音色」120分ライブの中で、ギタリストの伊藤茂利が朗読させていただいています。畠中国三さんと百合子さんの姿を「ホピの予言」の中で、30年ぶりに拝見させていただきながら、あの頃の記憶が蘇りました。


アメリカの学校や教会などで、日本文化の紹介と共に10フィート運動で生まれた原爆映画「にんげんをかえせ」の上映ボランティアをしていた私は、ホームステイ先の牧師さんにすすめられ、1987年の母の日に行われたネバダ核実験場でのデモの取材に向かいました。ネバダでの核実験による近隣の住民の健康被害が重大な問題となっており、3000人を超えるお母さんや祖父母、ネイティブインディアンの方々が核実験反対を訴えていました。


非暴力の訓練が事前に行われ、放射能による危険区域と書かれたエリアに有刺鉄線を乗り越えて、核実験場へとゆっくりと歩いていくお母さんやお父さん、おじいちゃんやおばあちゃん。危険区域に入り込み、逮捕され、手錠をかけられた両腕を上に掲げ、歌いながら踊りながら微笑みながら、子供を守るために逮捕されていく人々。一眼レフのシャッターを切りながら、頬を伝わる涙が止まらなかったあの日‥‥。



その後、ネバダの砂漠にテントを張り、ピースキャンプが開かれました。ネバダ核実験場の前にラスベガスから燃料を運び、原爆映画「にんげんをかえせ」の上映をさせていただきました。その映像を観て強い衝撃を受けた人々の表情を今も忘れることが出来ません。ウランの採掘の段階から核被害を受け続け、核実験によっても兵士や近隣の住民に核被害が及んでいる中で、実際に原爆が人間の上に投下されたヒロシマ・ナガサキの実情を前に「にんげんをかえせ」を観た人々は言葉を失っていました。



核実験場で働いている人々の立場も考えて、他の就職先を紹介するボードを持って抗議する人々。「アイ・ラブ・ユー」のサインを掲げて核実験反対を訴える人々。核兵器製造のための材料を積んだトラックに向かって人間の鎖をつくって止めようとした人々‥‥。



大手マスコミが伝える情報には限界があり、あの時、ネバダの核実験場にテントを張って反対を訴えていた人々や、有刺鉄線を乗り越えて歌い踊りながら逮捕されていった500人以上の人々、千羽鶴を折って原爆養護ホームに届けてくれた子供たち、8月6日に路上に立ち「原爆反対」を訴えていた人々のことが日本の大手ニュースで伝わることはありません。



しかし、帰国した後、スミソニアン博物館の原爆展中止の情報が伝えられた時も、そのニュースを見ながら私が思い出すのは、30年前に会った平和を愛する人々の姿でした。


どの国にも、恐れに操られることなく、平和を愛する人々がいて、本当の平和の意味を知る人がいる。



たとえ、すべての期待が消えたとしても、暗闇の先に見える光を信じ、たとえどんな痛みの中にあろうとも、揺るぎない確かな思いを持ち続けていけるのは、国籍・民族・世代など様々な違いを超えて、平和を心から願うたくさんの人々の魂に触れる出会いをいただいたからだと思います。



これまでの30年を振り返りながら、改めて次の30年に向かってどう生きていくかに思いを馳せながら‥‥平和を愛する世界の人々への感謝を胸に、今日は眠りにつきたいと思います。



「ホピの予言」は、あれから30年経った今も、しっかりと大切なメッセージを投げかけてくれる作品です。機会あれば是非ご覧になってください〜♪
posted by 中村里美のぷらっとハッピー日記 at 00:30| 東京 ☀| ヒロシマ・ナガサキ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年06月20日

YouTube ピート・シーガーがバンジョーを弾きながら歌う「原爆を許すまじ」」

アメリカのフォークソングの第一人者だった ピート・シーガー氏の歌う「原爆を許すまじ」のYouTubeの映像です〜♪


Never Again The A Bomb Pete Seeger 17 24 1963

▲ youtube ピート・シーガー「原爆を許すまじ」
https://www.youtube.com/watch?v=AxH4FWjHdMM


映画『アオギリにたくして』のこの度のアメリカ上映を企画してくださったネバー・アゲイン・キャンペーン代表のレイスロップ(元)教授より本日メールで送られてきましたので、ご紹介します〜♪♪


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2016年06月17日

「被爆者という人間はいない」

この度の映画「アオギリにたくして」アメリカ上映を無事終えて、これから夏に向けて日本国内での上映行脚が始まります。


日本に帰国し、2週間留守にしていたので、しばらくは山済みとなった仕事に追われていましたが、ようやく少し落ち着きました。



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アメリカ上映に出る前に、国内で暮らす外国人や留学生に映画を観ていただく機会をいただいていたので、ある程度の手応えは予測していましたが、思った以上の反響をいただきました。

きっとそれだけ、被爆者の方々が原爆投下後にどんな思いで生きたかを想像力を持って考えてみる機会がなく、被爆者の方々の実情が知られていないのだと改めて感じました。


アメリカでの上映中に、オバマ大統領の広島平和記念公園でのスピーチの際にも出席されていた被爆者の岩佐幹三さんが、石川県金沢での「アオギリにたくして」上映の際に語っておられた「被爆者という人間はいない」という言葉が何度も思い出されました。


この世の中に、被爆者という特殊な人間はいない。ふつうの人間が、戦争、原爆の被害にあって、被爆者という運命を背負わされた。そして、私たちも、もしかしたら明日は被爆者になるかもしれない。

No more Hiroshima, No more Nagasaki, No more Hibakusya,
No more war!

被爆者の方々の心の叫びに耳を傾向け、核なき世界の実現に向けて、現実的に進まない現状への批判や評論だけではなく、「自分に出来ることは何か?」を一人一人が考えていくことが大切だと思います。


この度のアメリカ上映では、いろいろなコメントをいただきましたが、上映後にいただいたコメントの中で、私にとって一番心にしみたのは、「なぜ被爆者は、こんなにも自分が辛く苦しい体験をしながら、平和を願い、平和への貢献を果たそうとすることが出来るのでしょうか」というものでした。


まさに、その部分を深く感じとっていただけたなら、そこから平和が始まっていくと感じました。


被爆者の方々の「世界中の誰にも自分と同じ苦しみをさせたくない」という思いは、生き地獄の中を生きた被爆者の方々が、絶望の果てに見た心の叫びであり、祈りなのだと思います。
世界を見渡せば、憎しみの連鎖によるテロが広がりつつある中で、
「憎しみではなく、愛の連鎖を生み出せる人になってください」と語っていた「アオギリにたくして」のモデルとなった故沼田鈴子さんの言葉が何度も思い出されます。


本当は忘れてしまいたい、二度と思い出したくない辛い体験を、世界の平和と地球の未来のために語り継ぎ、愛の連鎖を生み出すことの大切さを教えてくださった被爆者の方々のメッセージこそ、今日本が世界に伝えていくべき大切なメッセージだと思います。


ヒロシマ・ナガサキの実情はまだまだ知られておらず、それはアメリカや海外だけの話ではなく、悲しいかな日本でも同じ状況なのかもしれません。私自身もそうであったように‥‥。


地道で小さな一歩一歩ではありますが、これからも国内・海外共に命の尊さと平和を愛する心の大切さを伝え、人々の心に平和の種を蒔くことのできる上映&ライブ行脚を続けていきたいと思います。


まずは、これからはじまる日本国内の夏の上映&ライブに向けて全力投球します。次回のアメリカ上映に向けて準備を進めながら、来年春には渡米し上映活動を再開していく予定です。

日本国内1000回上映、アメリカ100回上映&ライブをまずは目指し、その他の国々にも上映&ライブの輪を広げていきたいと思います。


改めて、映画「アオギリにたくして」のアメリカ上映にご支援・ご協力くださった皆様、応援してくださっている皆様に心より感謝申し上げます。今後ともよろしくお願い申しあげます。
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2015年04月23日

小西悟先生のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

日本被団協の元事務局次長の小西悟先生が4月22日にお亡くなりになったお知らせを、伊藤直子さんからいただきました。小西先生はドイツ文学者で、被爆者運動の傍らゲーテのファウストの翻訳もされました。

29年前、アメリカでヒロシマ・ナガサキを伝える草の根ボランティア「ネバー・アゲイン・キャンペーン(N.A.C.)」に参加させていただき、たくさんの皆様にお世話になりましたが、小西先生は、NACの活動をいつもあたたかく見守ってくださっていました。

「今頃は。山口仙二さんと「後は君たちに任せたよ」と肩を組んで笑っているのでは? 」
と書かれた伊藤直子さんのメールを何度も読み返しながら、涙が止まりません。

自分の人生の原点となるN.A.C.の体験を通して、たくさんの方々のお世話になりました。「いのちの尊さ」「平和の大切さ」を、そして、人として生まれ、人として生きる上で、何が大切かを、その生き様を通して教えてくださった方々が、毎年亡くなられていく中で…。その足下にも及ばず、何も恩返しも出来ずにいる自分が情けなく、悲しみに押しつぶされそうになります…。

今、自分に出来る事は何か…。今、自分がすべき事は何か…。

自問自答しながら一歩、一歩…。歩んでいきたいと思います。

小西悟先生、本当にありがとうございました。
心よりご冥福をお祈り申し上げます。

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2015年03月12日

3・11から4年…

3・11から4年…。
「生きるということ」を改めて深く考える日々だった。

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2010年秋に、米国ワシントンの(財)カーネギー地球物理学研究所へ広島市長のメッセージを届け、海外で初のピースライブと被爆アオギリ2世の植樹を山中先生が企画してくださり、その時のご報告をするために、今は亡き沼田鈴子さんに会いに広島を訪れたのは、3・11の一週間後だった。

まだメルトダウンも告げられず、原発事故の全容がつかめていなかった時から、沼田さんはもの凄い危機感を感じていた。あの時の沼田さんの心の叫びを今も忘れる事ができない。

3・11から4ヶ月後、沼田さんは亡くなった。亡くなる一ヶ月前、最期のお誕生日(87才)に捧げた歌「アオギリにたくして」を「平和記念公園のアオギリの木の下で子供達と一緒に歌いましょう」と話していた。「死ぬのは簡単だけど、生きて伝えなければ…」と車イスに座った沼田さんは、膝の上に握りこぶしを立てて言った。それが沼田さんと交わした最期の言葉となった。

それまで、映画に興味の全くなかった私が、映画をつくりはじめたのは、この沼田さんの最期の言葉がきっかけとなった。

結婚を3日後に控えて原爆にあい、麻酔薬もないまま大腿部よりのこぎりで左足を切断。その後、婚約者の死を知らされ絶望の淵にたち、自殺することばかり考えていたという沼田さん。その後、長い年月を経て、沼田さんが被爆体験を語るようになったのは晩年になってからのことだった。

被爆者に対する差別や偏見もある中で、本当は忘れてしまいたい、二度と思い出したくない体験を語り始めるまでに、どれ程の心の葛藤があったことだろう。

そして沼田さんは、自分の被爆体験を語るだけではなく、ハワイやマレーシア、韓国、中国などを訪れ、戦争犠牲者の慰霊の旅を続けていった。

戦後50年に、日本に滞在するアメリカ・ドイツ・スペイン・中国・韓国・マレーシア・フィリピンなど8カ国の出演者と共に被爆体験の朗読と自分たちの家族の戦争体験を伝える朗読劇「トンボが消えた日」をプロデュースした際には、沼田さんのお話を聞きにみんなで広島を訪れた。

待ち合わせは、いつものアオギリの木の下。痛みを持つ人々の声に耳を傾け、事実を直視する強さを持ち、その上で加害・被害を超えて、同じ地球に命を授かった我々が、今平和のために何ができるのか? 沼田さんのお話と普遍的なメッセージは、国籍・民族・世代を超え、みんなの心に深く響いた。

「憎しみではなく、愛の連鎖を生み出せる人になってね」。一番大切なのは「優しい心」

沼田さんの言葉は、いつも感謝と希望に満ちていた。至らないことがあっても決して人をただ批判することなく、自分と考えの違う人がいても攻撃するのではなく、いつも全身全霊で平和の大切さ、いのちの尊さを伝え、その言葉はいつも愛と思いやりに満ちていた。

沼田さんが生きる上でのモットーとされていた言葉=「出会い」「感動」「発見」「出発」
その生き様を通して、沼田さんが私たちに教えてくださった事を大切に生きていきたい。

沼田さんの半生をモデルに描いた劇映画「アオギリにたくして」は、2013年夏に完成し、昨年末までに350回を超える上映会が行われた。大手の資本等いっさい入っておらず、応援してくださる皆様からの募金と我々の借金だけで作ったこの映画は、十分な資金力もなく、宣伝力もない映画であるにも関わらず、観てくださった方々が感動を伝えてくださり、次の上映を企画してくださり、戦後70年を迎える今年、日本全国に上映の輪が広がっている。

沼田さんに初めて出会ったのは、29年前の22才の頃だった。自分の両親の世代は戦争を体験しているにもかかわらず、それまで私にとって戦争や原爆は昔に起きた過去の出来事でしかなかった。そして、被爆者の方々の話を聞かせていただいてもなお、最初はしっかりと受け止める事ができずにいる自分がいた。そんな私が、沼田さんはじめたくさんの被爆者の方々との出会い、そしてヒロシマ・ナガサキを世界に伝える中で、いのちへの深い感謝を持って生きるようになった。

「被爆体験を語り継ぐ事、それは私にとって一粒の平和への種蒔きです」と語っていた沼田さん。

「アオギリにたくして」が、今を生きる若い世代に「いのち」と「平和」を考える一つのきっかけになればと心より願っている。今回の作品は、若き青春の日々を中心に描いているが、いつか語り部となってからの後半生をより深く描いてみたいと思う。


3・11から4年…。
いくつものプレートの上に位置している地震大国日本。核のゴミの処分に筋道もたたないまま…この小さな島国の海岸線には50基以上もの原発がすでに存在している。

問題解決をしていく上で、「命の尊厳と」「自然との共生」への視点はかかせない。とするならば、今私たちはどうあるべきなのか?

一人一人の生き様が問われている。

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2015年02月05日

「憎しみではなく、愛の連鎖を生み出せる人になってね」お世話になったヒロシマ・ナガサキの被爆者の方々の言葉を胸に…

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「憎しみの連鎖ではなく、愛の連鎖を生み出せる人になってください」。

今は亡き、映画「アオギリにたくして」のモデルとなった沼田鈴子さんのメッセージを伝えながら…。「平和の尊さ」と「いのちの大切さ」への思いをアオギリにたくして…、観てくださった方々の心に平和の種が蒔かれていく事を願いながら、2015年も日本全国での上映活動に力を入れていきたいと思います。

憎しみの連鎖によるテロが世界に広がる中、「世界中の誰にも二度と同じ苦しみをさせたくない」と願い、本当は忘れてしまいたい辛く悲しい体験を語り継いでくださったヒロシマ・ナガサキの被爆者の方々のメッセージにしっかりと耳を傾け、伝えていきたいと思います。


〜Seeds of Peace!! 平和の種を世界へ〜
◎ 映画「アオギリにたくして」自主上映の呼びかけ
http://aogiri-movie.net/myscreen/

上映に関するお問い合わせは、E-mail: info@musevoice.com






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