2017年05月23日

しげ兄さん登場〜!

昨年から製作中のドキュメンタリー映画「砂川〜大地の記憶〜」。5/21に行われた砂川のフィールドワークの取材と撮影には、しげ兄さんも登場〜♪

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1クール目の抗がん剤治療を終えて、今のところひどい副作用もなく、無理のないように静養しながら仕事をしているしげ兄さんですが、オフィスでたからプロデューサーと再会し、ご一緒に登場されました。


昨年対談させていただいたノンフィクション作家の高瀬毅先生とも現地で再会。しげ兄のことをとても心配してくださっていた主宰の福島京子さんとしげ兄さんの再会も感動的でした〜♪


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砂川闘争の現地を歩くフィールドワークに初参加のTakaraプロデューサー。


犬の参加は初めてのようです。


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皆様に大変お世話になり、心より感謝申し上げます。


posted by 中村里美のぷらっとハッピー日記 at 15:28| 東京 ☀| 映画「砂川〜大地の記憶〜」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

砂川の大地の記憶とネバダの砂漠の記憶

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第3作目は、砂川の大地の記憶を追っている。


なぜだろう? 何が自分の魂をゆさぶっているのだろう。


きっともう少ししたら、その訳がきっとわかるような気がしている。




遠い記憶が蘇る。


31年前、ネバダの核実験場のゲートの前で、10フィート運動で生まれた原爆映画「にんげんをかえせ」を上映し、砂漠にテントを張って滞在していた時のことが。



広島・長崎に投下された原子爆弾に使われたウランはネイティブアメリカンの聖なる大地から掘り起こされたものだった。


そして、ラスベガスの北西100kmにあるネバダ実験場では、1951年から1992年までに大気圏内だけでも100回の核実験が行われた。そこは、ショショニと呼ばれる先住民族の人たちの母なる大地だった…。




砂川に行くたびに、31年前のあの時受けた強烈な感覚が蘇ってくる。



posted by 中村里美のぷらっとハッピー日記 at 08:50| 東京 ☀| 映画「砂川〜大地の記憶〜」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

被爆アオギリ2世・3世が一昨年植樹された砂川秋まつりひろば

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一昨年被爆アオギリ2世・3世が植樹され、昨年は映画「アオギリにたくして」上映とミニコンサートをさせていただいた「砂川秋まつりひろば」


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砂川秋まつりひろば (文:木を植える会)
このひろばは、むかし米軍の基地になるはずだった土地に作られました。1950年代の砂川闘争によって、政府は立川基地拡張をあきらめましたが、国に買収された多くの土地が砂川に残されました。1990年ごろに、この場所を国はフェンスで囲おうとしました。しかし、「砂川にフェンスはにあわない」と市民たちが声をあげ、現在まで「木を植える会」がひろばとして草刈りや遊具の整備をつづけています。毎年秋まつりが開催され、市民に親しまれています。

posted by 中村里美のぷらっとハッピー日記 at 07:30| 東京 ☀| 映画「砂川〜大地の記憶〜」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月22日

武蔵野の記憶遺産としての「砂川闘争」を今に再発見!

初監督をつとめさせていただく、第3作目となるドキュメンタリー映画「砂川〜大地の記憶〜」の取材・撮影で、5月21日に砂川へ伺わせていただきました。

「土地に杭は打たれても 心に杭は打たれない!」
 この砂川闘争の合言葉はどのように生まれたのか。
 大地に打たれた杭を辿りながら
 武蔵野の記憶遺産としての砂川闘争を
 今に再発見してみてはいかがだろうか」

米軍立川基地全面返還40周年記念として企画された「砂川闘争の現地を歩く会2017年実行委員会」様の主催による「砂川闘争の旅学シリーズ」フィールドワークに伺わせていただきました。


「旧砂川町役場」だった砂川学習館に集合。1955年6月18日、立川基地拡張絶対反対町民総決起集会が開かれ、何度となく境内で集会が繰り返されたという「阿豆佐味天神社」を訪れ、宮伝町長宅 ➡︎ 青木行動隊長宅・5番組公会堂 ➡︎ 団結小屋跡 ➡︎ 宮岡副行動隊長宅 ➡︎ 麦畑で昼食 ➡︎ 返還された基地内の畑 ➡︎ 反戦旗ポール跡 ➡︎ 砂川平和ひろばを辿りました。

◎旅の案内人:福島京子(砂川平和ひろば主宰)+青木栄司(コミュニティ・カフェステッチ代表)+大洞俊之(立川テント村)


歴史の扉が開かれ、返還された基地内の畑を見た後、レイクランド大学のトンプキンス先生のスピーチが行われました。

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2017,5,21 Tompkins先生スピーチ

本日は、お話する機会を与えていただきありがとうございます。福島京子さん福岡愛子さんから、砂川闘争と「アメリカインディアン運動」の共同創始者であるデニス・バンクスとの繋がりについて語ってほしい、と言われました。また、平和運動に関連する彼の活動についても、少し話してほしいとのことでした。それは、世界中で進取の精神に富んだ人々が国境を越えて触発し合い、アイデアと力を引き出し合うという価値の素晴らしさを物語るものです。

デニス・バンクスが、1956年に初めて砂川という地域と出会ったとき、彼は横田基地に駐留する空軍兵士として、フェンスの向こう側にいました。日本の警察が、砂川で平和的な活動をする人々に対し暴力で立ち向かってきたとき、彼は、立川基地のフェンスラインの内側で監視に立っていたのです。デニス・バンクスは、デモ隊の誰でもいい基地内に入る者がいたら「打ち殺せ」と言われた、と述べています。彼が、実は自分は間違った側にいるのだと気づき始めたのは、その時でした。何世紀にも渡って自分たちの土地を盗み取られてきたネイティヴ・アメリカン(アメリカ先住民)としての経験は、立川空軍基地の周辺住民である砂川の人々に重なっている、と気づいたのです。打ち鳴らされる太鼓の響きまでもが、彼にネイティヴ・アメリカの太鼓の音を思い出させました。彼は、自分が共感するのは砂川の人々に対してであって軍に対してではない、と悟りました。さらに、アメリカに帰ると彼は、砂川を守ろうとする人々の勇気と実力行使に触発されて、ネイティヴ・アメリカンの権利を守る闘いへと駆り立てられました。人種差別や政府の不当性と対決し、「アメリカンインディアン運動」を創始したのです。

砂川でデモをしていた人々と同じように、ネイティヴ・アメリカンもまたアメリカの警察の暴力に遭い、運動の初期の活動は警察の蛮行をめぐる闘いでした。とりわけ現住地を返還し政府が部族の主権をもっと認めるように求めて、「破られた条約のための行進」を呼びかけ、アメリカ全土にデモ行進を行いました。1970年代に運動が拡大すると、政府は連邦警察を使い何度も裁判を起こして、ネイティヴ・アメリカンの運動を失速させたり逆行させたりしようとしました。デニス・バンクスは、1984年に懲役三年の判決を受けましたが、出所後もまた活動を続けました。

デニス・バンクスの行動主義は、平和と文化保存、そして環境の持続可能性といった問題が中心です。彼はアメリカを横断するクロスカントリーウォークや、日本で広島から北海道まで走破するセイクリッド・ランなどを組織・統括しました。日本山妙法寺の支援と協力を得て、私たちは七世代先を考えて生きなければならないという考えを推進するために奮闘してきました。七世代先を考えるとは、環境を守り、核施設やスタンディング・ロックのパイプラインなど潜在的に有害性のある建設に反対し、平和を唱え、様々な背景を持つ広範な人々と学び合い共同し合う、ということを意味します。デニス・バンクスにとってこのような考え方・生き方は、砂川闘争の種から芽生えた精神でもあるのです。

〜砂川闘争の旅学資料集より(砂川平和ひろば編集)〜


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1955年6月18日、立川基地拡張絶対反対町民総決起集会が開かれた阿豆佐味天神社。参加者1300名。その後も、この境内で何度となく集会が繰り返されたという。

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▲今では「猫返し神社」として知られる阿豆佐味天神社。

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▲案内人で「砂川平和ひろば」主宰の福島京子さん。


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反対闘争で守った宮岡政雄の土地の麦畑
〜「砂川闘争の旅学」資料集より(砂川ひろば編集)〜


砂川闘争当時の砂川では、戦前から盛んに行われていた養蚕のための桑畑、小麦、さつま芋、陸稲などが栽培されていた。16代続く宮岡正雄の生家は、1945年8月2日に、焼夷弾により焼失してしまったため、戦後はそれまで蚕室として建てられていた家を、住居に改修して住むことになり、戦後は主要な養蚕ができなくなり、桑畑は小麦やさつま芋、陸稲栽培に変わった。

1955年5月4日、拡張が知らされ、初めての会合が5番組公会堂で開かれる日、宮岡政雄は麦の手入れをしていた。作業をしながら、「今は、主権在民の新憲法の下、戦前の陸軍の基地の拡張の時代とは違う。この法の下にたった一人になったとしても戦争に繋がる基地の拡張に絶対反対する。その結果土地を奪われたとしても、先祖は恨まないだろう。私が散在して失うわけではないのだから」と決意し、5番組公会堂に向かった。その畑は、激突の度に踏み潰され、さつま芋がむき出しになり、時には援農の労働者、学生が収穫を手伝った。また、運動麦播きが遅れて来年の収穫が危ぶまれた時、反対同盟の人々が麦まきを手伝い、例年通りの収穫ができた。支援者や反対同盟の絆で守られた畑に、砂川闘争当時の作物を植え、今麦畑を再現している。そしてここから、「砂川地粉」・「砂川地粉うどん」が作られている。

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歴史の扉を開けて中へ。
返還された基地内の畑へ。

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◎ドキュメンタリー映画「砂川〜大地の記憶〜」Facebookページ
➡︎ https://www.facebook.com/SunagawaDocumentary/
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2017年05月20日

「土地に杭は打たれても 心に杭は打たれない!」

2017年5月21日(日)米軍立川基地全面返還40周年記念「砂川闘争の現地を歩く2017」が開催されます。現在製作中のドキュメンタリー映画「砂川〜大地の記憶〜」の撮影でお伺いさせていただきます。皆様よろしくお願い申しあげます。

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2017年01月22日

ドキュメンタリー映画『砂川〜大地の記憶〜』製作に向けて

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「アオギリにたくして」「かけはし」に続く、ドキュメンタリー映画「いのちの音色」シリーズとして「砂 川 〜大地の記憶〜 」の製作に向けて2017年より本格始動します。


砂川闘争から60年を迎えた2015年秋、広島の被爆アオギリ2世・3世の苗が砂川に植樹されました。いのちの尊さと平和の大切さへの思いを込めて、被爆アオギリ2世・3世の植樹の企画をしてくださったのは福島京子さんです。福島さんのお父さんは、砂川闘争で反対同盟副行動隊長をされていました。農地を守り、戦争につながることはしたくないという強い信念を持っていたご両親の姿を見て育ちました。


2010年に旧拡張予定地の一角に、福島さんは「砂川平和ひろば」を開設しました。砂川の歴史を伝え、人々が集い語り合う場として活動を継続しています。


砂川闘争とはなんだったのか? 平和運動には無関係だったという福島さんが、なぜ今、砂川の大地から平和を発信しているのか。 アオギリが繋いでくれた出会いの中から、新たなドキュメンタリー作品が生まれようとしています。


これまで「アオギリにたくして」「かけはし」の企画・製作・プロデュース・音楽を一緒に行ってきたしげ兄(伊藤茂利)と共に、第三作目となる「砂川〜大地の記憶〜」では、初監督にも挑みながら来年2018年の完成を目指します。


皆様のご支援・ご協力を何卒よろしくお願い申し上げます。





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2016年12月26日

クリスマスは、砂川でドキュメンタリー撮影〜♪

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▲イタリアに一年間暮らしていた福島京子さん手作りのお菓子。クリスマスの日、撮影に伺った私たちにプレゼントしてくださいました〜!


アオギリのご縁で出会いをいただいた福島京子さんのドキュメンタリー映画撮影のため、12月25日砂川へ。



京子さんは昨年、被爆アオギリ2世・3世の植樹を砂川の地にしてくださり、この秋には映画「アオギリにたくして」の上映会を企画してくださいました。勉強不足な私は、京子さんを通じてはじめて砂川闘争について知った。


「土地に杭は打たれても、心に杭は打たれない」


1955年に始まった砂川闘争。地元の人たちが旧米軍立川基地の拡張計画に反対し、米軍基地を撤退させた唯一の住民運動が砂川の地で繰り広げられた。福島京子さんは、反対農家の中心だった故・宮岡政雄さんの次女として生まれた。京子さんが子供の目で見た砂川闘争、そしてずっと両親の生き様を見続けてきた京子さんが語る砂川闘争は、Wikipediaや参考資料からは決して感じることの出来ない温度を心に伝えてくれる。


一人ひとりが尊重される世界を何より大切にしていた父の残した農園の一角に、京子さんは「砂川平和ひろば」を開設。平和・郷土・農業など様々なテーマで交流する場をつくり発信している。


クリスマスの12月25日、「砂川平和ひろば」の大掃除をする福島京子さんの姿を撮影に砂川に伺った。


農園に向かう京子さんの後を追って、いくつかの質問を投げかけた。ご両親のことを語りながら言葉を詰まらせ涙を拭う京子さんの姿に、思わず涙があふれ、カメラをしっかり握り締めた。


この秋から撮影を開始したドキュメンタリー。砂川の大地に宿る魂を追っていきたいと強く思うクリスマスの夜でした。

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▲12/25大掃除の後は、来年に向けて「砂川平和ひろば」のミーティングの様子を撮影させていただきました。
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2016年12月12日

砂川の大地から平和を〜♪

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昨年被ばくアオギリ2世・3世が植樹され、今秋には映画「アオギリにたくして」上映とミニライブ、ノンフィクション作家の高瀬毅様との対談をさせていただいた砂川へ。

12/10砂川平和ひろばでの収穫祭に、ドキュメンタリー取材&撮影に伺わせていただきました〜!

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収穫祭では、砂川の地で育った美味しい野菜がいっぱい入ったけんちん汁と砂川のもち米で作られたお赤飯をいただき、砂川の大地の恵みを食したあと、映画「草の根の人々」(浜岡英夫作品)が上映されました。


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「草の根の人々」の上映のあとは、栗原正男さん(80歳)の証言「激突の砂川、あの時」。


元砂川郵便局員だった栗原正男さんのお母様の栗原むらさんは、砂川闘争の女性反対同盟として様々な場面で活躍されていた方だそうです。長男の正男さんは当時19歳で、母親と共に闘争に参加されていたそうです。当時、拡張予定地とされていた一番南、基地に一番近いところに住み、お住まいは基地闘争の時、救護所として使われていたといいます。

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▲戦時中のこと、そして砂川闘争について語ってくださった栗原正男さん(左)と砂川平和ひろば主宰の福島京子さん(右)。


80歳の栗原正男さんが子供の頃見た戦争のお話を聞かせていただき、いかに戦争が人間を無視したものと化していくものかがストーレートに伝わってきました。そして戦後、1955年にはじまった、砂川闘争について語ってくださいました。

あの戦争を体験してきた自分たちが、二度と戦争を起こしたり加担してはいけないという強い信念が砂川闘争の根底にあったことがストレートに伝わる貴重な映画とお話でした。

在日米軍立川飛行場(立川基地)の拡張に反対して地元住民の方々が町をあげて反対し戦った砂川闘争。基地は拡張されることなく、米軍基地は1977年に立川から撤退、跡地は返還されました。最後まで戦い抜いたのは23件。23件の皆さんの強い意志が想いを形にしていきました。


砂川闘争の第二世代のひとりである福島京子さん(反対同盟副行動隊長・宮岡政雄の次女)は、農地を守り、戦争につながることはしたくないという強い信念を持っていたご両親の姿を見て育ちました。2010年に旧拡張予定地の一角に、「砂川平和ひろば」を開設。砂川の歴史を伝え、人々が集い語り合う場として活動を継続し、秋には毎年収穫祭を開催しています。


福島さんは、昨年被ばくアオギリ2世・3世の苗を砂川に植樹してくださいました。
私は、恥ずかしいことながら、福島さんにお会いするまで砂川闘争について全く知りませんでした。


砂川闘争とはなんだったのか?そして、私と同じように平和運動には無関係だった福島さんが、なぜ今、砂川の大地から平和を発信しているのか? 今、福島京子さんの取材と撮影を行っています。


アオギリが繋いでくれた出会いの中から、今また新たなドキュメンタリー作品が生まれようとしています。

posted by 中村里美のぷらっとハッピー日記 at 23:55| 東京 ☀| 映画「砂川〜大地の記憶〜」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年11月18日

砂川の大地から、とどけ平和の声

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被ばくアオギリ2世・3世が昨年植樹された砂川の地で、11月13日に映画「アオギリにたくして」が上映されました。上映後には、ノンフィクション作家の高瀬毅様と対談させていただき映画製作にたくした思いをお話しさせていただきました。高瀬毅様のご著書を読ませていただき、大変感銘を受けました。学びの多い1日となり、皆様との出会いに心より感謝申しあげます〜!!

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上映と対談の後は、「砂川秋まつりひろば」に移動し、主題歌「アオギリにたくして」と「平和を」をみなさんと一緒に歌わせていただきました。


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砂川地粉のすいとんと砂川の大麦から作った麦茶飲みながらのトークリレーと音楽の演奏。被ばくアオギリの種から育った二世の苗をを囲んで、アメリカ・韓国・イギリス等の様々な国の方々と共に、秋の一日を過ごしました。平和のありがたさ、いのちの尊さ、平和づくりの大切さを心より感じながら…「砂川平和ひろば」主宰の福島京子さんはじめ、この度の実行委員会の皆様に心より感謝申しあげます。

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▲「砂川平和ひろば」主宰者 福島京子さん。※「砂川平和ひろば」は、2010年5月砂川闘争55周年を記念して、砂川町基地拡張反対同盟副行動隊長をされていたお父様の宮岡政雄さんが立川基地のフェンス直前の敷地に建てた建物に開設されました。


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イベントを終えて、車に機材を積んでいると、「砂川秋まつりひろば」の椿の垣根の剪定をしながら枝を切り、「木を植える会」の加藤さんが椿の花をプレゼントしてくださいました。

在日米軍立川飛行場(立川基地)の拡張に反対して地元住民の方々が町をあげて反対し戦った砂川闘争。基地は拡張されることなく、米軍基地は1977年に立川から撤退、跡地は返還されました。最後まで守り抜いた農地の横に位置する国有地(旧基地拡張予定地)が「砂川秋まつりひろば」で、地元住民の方々が自主管理されています。当初、ひろばの周りはフェンスで囲むとされていたところを砂川の皆さんの強い提案により、フェンスではなく椿の垣根とし、子供たちも集えるひろばを地元住民の方々がつくっています。

「フェンスのない街をつくりたい」。
福島京子さんが歩きながら呟かれた言葉が心に響きました。

平和は一人一人の深くて強い思いと行動力からつくられていくのだと砂川の皆様から教えていただきました。たくさんの学びをいただき、ありがとうございました。皆様に心より感謝申しあげます。
posted by 中村里美のぷらっとハッピー日記 at 22:10| 東京 ☀| 映画「砂川〜大地の記憶〜」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年11月13日

11/13(日)砂川「アオギリにたくして」上映の記事が東京新聞に掲載されました〜!

被爆アオギリ2世が昨年植樹された砂川にて、映画「アオギリにたくして」が本日11月13日(日)上映されます。上映後、ノンフィクション作家の高瀬毅さんと対談させていただきます。午後の集会では、中村里美&伊藤茂利ミニライブ、被ばくアオギリ二世を囲んでのリレートークなどが開催されます。皆様よろしくお願い申しあげます〜!


◉【東京新聞】砂川から育む平和の芽 被爆アオギリ植樹1周年で集会
➡︎ http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyo/list/201611/CK2016111002000163.html
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〜砂川の大地から、とどけ平和の声〜
「被ばくアオギリ2世」砂川植樹一周年記念 映画上映会&現地集会

◎日時:2016年11月13日(日)
◎会場:砂川学習館/秋祭りひろば
〜アクセス〜
■JR「立川駅」北口でバス利用
1,3 番停留所で国立病院/砂川七番 経由「砂川四番」で下車【徒歩 1 分】
■西武新宿線利用 武蔵砂川駅で下車【徒歩 15 分】
◎主催:「砂川の大地から、とどけ平和の声」実行委員会
◎お問合せ:砂川平和ひろば TEL:042-536-3167/木を植える会 TEL:042-524-9863


==プ ロ グ ラ ム==
【第1部】映画会 @砂川学習館講堂 
9:20 受付
・上映会プロローグ
・「5年目の福島の現実」スライドショー
・「広島長崎の原爆」エリック・バーノウ製作 
9:45 開会挨拶
9:50 映画「アオギリにたくして」上映(100分)
11:35 対談:中村里美 × 高瀬毅(ノンフィクション作家) 
12:20 質疑        
12:30 お昼休み
   ・砂川地粉すいとん提供
   ・砂川の大麦から作った麦茶提供  
 
【第2部】現地集会@砂川秋まつりひろば(雨天:砂川学習館講堂)
13:10 午後の部開会
13:15 沖縄、広島など各地からのメッセージ紹介
13:20 ミニライブ 中村里美&伊藤茂利「いのちの音色」
13:35 リレートークアオギリを囲み核とヒバクを語る”
     中村里美さん、高瀬毅さん、張大石さん、
     稲橋ゆみ子さん、トンプキンス教授
15:05 レイクランド大学学生によるパフォーマンス
      加藤さん(挨拶・ハーモニカ・二胡)
      全員合唱(赤とんぼ)
15:30 閉会あいさつ
posted by 中村里美のぷらっとハッピー日記 at 00:40| 東京 ☀| 映画「砂川〜大地の記憶〜」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする