2017年06月28日

ドキュメンタリー映画「砂川〜大地の記憶〜」制作顧問の大久保賢一弁護士と共に「砂川平和ひろば」へ

2017年7月26日、第3作目となる製作中のドキュメンタリー映画「砂川〜大地の記憶〜」の制作顧問としてお力添えいただいている日本反核法律家協会事務局長で弁護士の大久保賢一先生と共に、福島京子さんに会いに「砂川平和ひろば」に伺いました。


19429742_1414495945300367_2445675829270545690_n.jpg
▲砂川平和ひろば


19510604_1414495921967036_803831358627925186_n.jpg
▲砂川闘争では反対農家の中心的存在だった故・宮岡政雄さんの次女として生まれ、守り抜いた土地で「砂川平和ひろば」を主宰する福島京子さん。


19420847_1414495798633715_2816006329159201860_n.jpg


「砂川平和ひろば」から徒歩数分のところにある「砂川秋まつりひろば」に、福島京子さんが一昨年植樹した被爆アオギリ2世・3世に会いに行きました。

19511250_1414495771967051_2295576841549723355_n.jpg
▲「砂川秋まつりひろば」に2015年に植樹された被爆アオギリ2世

「砂川秋まつりひろば」について (文:木を植える会)
このひろばは、むかし米軍の基地になるはずだった土地に作られました。1950年代の砂川闘争によって、政府は立川基地拡張をあきらめましたが、国に買収された多くの土地が砂川に残されました。1990年ごろに、この場所を国はフェンスで囲おうとしました。しかし、「砂川にフェンスはにあわない」と市民たちが声をあげ、現在まで「木を植える会」がひろばとして草刈りや遊具の整備をつづけています。毎年秋まつりが開催され、市民に親しまれています。


19437212_1414495878633707_1852859385371049598_n.jpg

19510514_1990546357899193_7569274498199568341_n.jpg


アオギリは、すくすく元気に砂川で大きく成長していました〜♪


砂川の大地から平和を〜!



posted by 中村里美のぷらっとハッピー日記 at 10:46| 東京 ☔| 映画「砂川〜大地の記憶〜」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月25日

ドキュメンタリー映画「砂川〜大地の記憶〜」製作顧問として大久保賢一先生がご協力くださることになりました〜!

映画「アオギリにたくして」では、大変お世話になった弁護士で日本反核法律家協会事務局長の大久保賢一先生に、現在製作中のドキュメンタリー映画「砂川〜大地の記憶〜」でもご協力いただけることになり、製作顧問をしてくださることになりました。心より感謝申し上げます。

19399156_1407923919290903_3577072586198962199_n.jpg


大久保賢一先生にはじめてお会いしたのは、まだ映画づくりを始める前のこと。


映画「アオギリにたくして」が生まれる原点ともなる歌と語りでヒロシマ・ナガサキを伝えるライブを始めたばかりの頃です。


目黒のライブカフェで行われたライブの後に行ったパネルディスカッションに、大久保先生が今は亡き被団協の伊藤直子さんと共にご出演してくださいました。


1000回ライブを目指して、スタートしたばかりの第6回目のライブでした。


10.jpg
▲ライブの翌日(2009年8月8日)掲載記事(朝日新聞)
※画像をクリックすると大きくなります。


あれから、8年‥‥。


「いのちの音色」と名付けられた歌と語りでヒロシマ・ナガサキを伝えるピースライブは、200回公演を超え、まだまだ1000回ライブまでには及びませんが、これからも一つ一つのライブに魂を込めて歌い続けていきたいと思います。


ライブの中で被爆体験の朗読をさせていただいていた沼田鈴子さんが亡くなられた翌年の2012年、沼田さんをモデルとした映画「アオギリにたくして」製作をスタートする時、大久保賢一先生にご相談しました。


はじめての映画製作は、大変なことの連続でしたが、共にプロデュースをしてくれた伊藤茂利さんと共に、何から何まで自分たちで動いて行ったことで、映画づくりとは何か、上映活動とは何かを知るとても貴重な体験をさせていただきました。何かおかしなことや許しがたいことが起きた時も、きちんと物事の本質を見極めて常に冷静に的確なアドバイスをしてくださり、大久保先生がいつも見守ってくださいました。


ドキュメンタリー映画「砂川〜大地の記憶〜」でもお世話になることになり、改めて心より感謝申し上げます。


いつもいつも見守っていただき、本当にありがとうございます。

posted by 中村里美のぷらっとハッピー日記 at 21:38| 東京 ☀| 映画「砂川〜大地の記憶〜」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月21日

ドキュメンタリー映画『砂川〜大地の記憶〜』製作に向けて

砂川HP.jpg

監督をさせていただく、ドキュメンタリー映画「砂川〜大地の記憶〜」の製作にむけて、昨年より撮影・取材をスタートしています。


砂川闘争から60年を迎えた2015年秋、「砂川秋まつりひろば」に広島平和記念公園の被爆アオギリの種から育った2世・3世の苗が植樹されました。このひろばは、むかし米軍の基地になるはずだった土地に作られました。1955年にはじまった砂川闘争は、地元の人たちが旧米軍立川基地の拡張計画に反対し、米軍基地を撤退させた唯一の住民運動です。政府は立川基地拡張をあきらめましたが、国に買収された多くの土地が砂川に残されました。1990年ごろに、この場所を国はフェンスで囲おうとしましたが、「砂川にフェンスはにあわない」と市民たちが声をあげ、現在まで「木を植える会」の皆様が草刈りや遊具の整備をつづけ、フェンスの代わりに椿の垣根をつくり、毎年秋まつりが開催され、市民に親しまれているひろばです。


被爆アオギリ2世・3世の植樹を企画してくださった福島京子さんは、砂川闘争の反対農家の中心だった故・宮岡政雄さんの次女として生まれました。宮岡さんは、地元の反対同盟の副行動隊長を務め、六法全書を読みながら独学で理論武装し、「砂川の法務大臣」とも呼ばれていました。宮岡さんは、戦後の憲法がある限り、必ずこの戦いに勝てると確信を持っていました。農地を守り、戦争につながることはしたくないという強い信念を持つご両親の姿を見て京子さんは育ちました。


ご両親の生き様を見続けてきた京子さんが語る砂川闘争は、Wikipediaや参考資料からは決して感じることの出来ない温度を心に伝え、今一度「砂川闘争」を今と結びつけ、また自分と結びつけて感じることの大切さを教えてくれます。


国の土地買収に応じる農家もある中で、福島さんの父・宮岡さんは立ち退きを拒否して裁判闘争を続けました。そして、米軍基地が返還されることになった5年後(1982年)、69歳で亡くなりました。


一人ひとりが尊重される世界を何より大切にしていた父の残した農園の一角に、京子さんは母と二人で「砂川平和ひろば」を開設(2010年)。旧米軍立川基地の拡張計画を住民たちが阻んだ「砂川闘争」で住民らと警官隊の衝突の舞台となった農地に、京子さんは人々が語り合う場をつくり、平和・郷土・農業など様々なテーマで交流しながら、砂川から平和を発信しています(基地拡張を防いだ農地で野菜を育ててきた妻キヌ子さんも2014年に94歳で亡くなりました)。


福島京子さんの取材を続ける中で、京子さんの思いは、初プロデュース作品「アオギリにたくして」のモデルとなった被爆者の故・沼田鈴子さんの思いと重なり、そして、振り返れば自身の原点ともなるヒロシマ・ナガサキの被爆者のメッセージを米国で伝え歩いた体験とも重なりました。


31年前にアメリカを訪れていた時、ネバダの核実験場の近隣に住む子供たちの白血病との因果関係が取りざたされ、全米のお母さんたちがネバダの砂漠に集って核実験反対を唱え、砂漠の中でのピースキャンプが開催される中で、10フィート運動から生まれた原爆フィルム「にんげんをかえせ」を上映させていただきました。


あの時、ネバダの核実験場の前でスピーチしたネイティブアメリカンの母なる大地への思い、日本山妙法寺のお上人様たちが奏でる太鼓の音‥‥。その日、たくさんのお母さんとお父さんが、おばあちゃんが、おじいちゃんが、入ってはいけない危険区域の有刺鉄線を乗り越え、手をつなぎながら、ゆっくりと核実験場に向かって歩き出しました。自分の身の危険をかえりみず子供たちの命を守ろうとする人々。ゆっくりと歩きながら、歌いながら、手錠のかけられた両手を上に掲げ、踊りながら‥‥逮捕されていきました。当日の様子を取材してい私は、カメラのシャッターを切りながら、涙が溢れてとまらなかった。あの日の記憶は、今も脳裏に焼き付いています。

広島・長崎に投下された原子爆弾に使われたウランは、ネイティブアメリカンの聖なる大地から掘り起こされたものでした。そして、ラスベガスの北西100kmにある先住民族の人たちの母なる大地だったネバダの砂漠には核実験場が作られ、1951年から1992年までに大気圏内だけでも100回の核実験が行われました。


「土地に杭は打たれても、心に杭は打たれない」
61年前の砂川闘争の非暴力不服従への思が、31年前に訪れたネバダの砂漠で出会った人々の姿と重なりました。


1977年、旧立川米軍基地は拡張されることなく、立川から撤退、跡地は返還されました。


最後まで戦い抜いた23件の砂川の農家の皆さんの強い思いの底に流れていたものとは? 福島京子さんがご両親の姿を通して見てきた砂川闘争とは?


砂川闘争の種から芽生えた精神は、国境を超えた希望の連鎖を繋いでいます。フェンスの向こう側で米軍基地の中から無抵抗のまま打ちのめされる人々を見ていた一人の米兵デニス・J・バンクス氏は、砂川を守ろうとする人々の姿に触発され、帰国後「アメリカンインディアン運動」創始者となり、平和と文化保存、持続可能な環境を守るための活動を続けています。


過去と未来をつなぐ今を生きる私たちにが決して忘れてはならない 人間としての魂の叫びを、ドキュメンタリー映画「砂川〜大地の記憶〜」の中で描くことができたなら‥‥。


福島京子さんとの出会いは、映画「アオギリにたくして」の生まれた原点やこれまでお世話になってきたヒロシマ・ナガサキの被爆者の方々の心の叫びが、偶然ではない必然の出会いをもたらせてくれたかのように思えてなりません。


「アオギリにたくして」「かけはし」に続く、第三作目となるドキュメンタリー映画「砂川〜大地の記憶〜」の完成に向けて、皆様のご支援・ご協力を何卒よろしくお願い申し上げます。

posted by 中村里美のぷらっとハッピー日記 at 21:38| 東京 ☁| 映画「砂川〜大地の記憶〜」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月16日

ドキュメンタリー映画「砂川〜大地の記憶〜」麦刈り、脱穀の取材へ

DSC_2185.JPG


これまでの企画・製作・プロデュース・音楽に加え、この度はしげ兄さんと共に初の監督に挑戦させていただく現在製作中のドキュメンタリー映画「砂川〜大地の記憶〜」では、砂川の大地から平和を発信し続ける福島京子さんの姿を追っています。


福島京子さんのご両親は、旧米軍立川基地の拡張予定地で農家を営まれていました。地元の反対同盟の副行動隊長をされていた故・宮岡政雄さんの次女として生まれ、元教師だった京子さんは、今は亡き両親への思いを胸に、砂川の大地からで農作物をつくりながら平和を発信しつづけています。


19149001_1157417777696645_7936292771068149632_n-2.jpg
▲福島京子さん(左)。砂川闘争で、住民らと警官隊の衝突の舞台となった農地。京子さんは、両親が守り抜いた土地で小麦など農作物を育てながら、砂川闘争の意義を伝えている。



6/14 京子さんの畑の麦刈りに伊藤カメラマン(しげ兄)が砂川へ伺わせていただき、翌日15日の脱穀の撮影に私も伺わせていただきました。


19059618_1983607095259786_899799083464630536_n.jpg



砂川闘争から60年を迎えた一昨年、この農地の近くにある砂川秋まつり広場に、被爆アオギリ2世・3世の苗が植樹されました。その時はまだ、福島京子さんと出会う前のことでした。


福島さんは、植樹式の時に「アオギリにたくして」の歌を流したいと、オフィスにお電話をくださっていたそうで、当日はCDで歌を流しながら、被爆アオギリ2世・3世の苗の植樹が砂川で行われたことを後から知りました。


31年前、アメリカの学校や教会等で日本文化紹介と共に原爆フィルム「にんげんをかえせ」等の上映ボランティア活動をしていた時にお世話になったジャーナリストの北岡和義さんが、砂川での植樹式に参加されていました。


流れてくる「アオギリにたくして」の歌を聴いて、北岡さんが我々のことを福島さんに話してくださったことがきっかけとなり、出会いをいただきました。





アオギリのご縁でつながり、第3作目となるドキュメンタリー映画がスタートしています。ドキュメンタリー映画「砂川〜大地の記憶〜」皆様のご支援・ご協力を何卒宜しくお願い申しあげます。

posted by 中村里美のぷらっとハッピー日記 at 14:15| 東京 ☀| 映画「砂川〜大地の記憶〜」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月14日

インスタデビューしたしげ兄さん

6/14本日夜10:25分からのNHK「総合診療医 ドクターG」に、しげ兄さんの主治医の勝俣範之先生がゲスト出演されます( ※ 6/17土曜日の午前10時5分から再放送されます)。


そして、ついでに?! しげ兄さんも?!


たまたま診療日にNHKの取材が入り、ちょこっとだけ しげ兄さんも出ているようです。


何より感謝すべきことは、信頼できるお医者さまとの出会いによって、しげ兄さんが安心して抗がん剤治療に取り組むことができていること。「わがままな患者であれ」をモットーとして接してくださる勝俣先生の腫瘍内科医師としての覚悟ある取り組み方に、「この先生と共にがんばろう!」と思えることが、これほど患者の気持ちを強くするのだと感じます。


勝俣先生の存在に、人間として、人の心の痛みを知り、しっかりと受け止め、心で接し、コミュニケーションすることの出来る器を備えることがいかに大切かを感じます。その上での才能や能力であり、それはどの分野であれ、必須なものだと感じます。



しげ兄が緊急入院してから、6ヶ月が過ぎました。


生きることについて、死について、仕事について、生き方について考える機会となりました。


誰もが限られたいのちを生きている。その限られた時間の中で、どう生きるのか?


日頃から何となく考えているつもりでも、突き詰められる体験を通して、よりクリアに見えてくるものがある。



今までとちっとも変わらない日常が続いているけれど、でも、より本質的なところにダイレクトに立ち向かわされる機会を得たことで、きっと今までとはちょっと違う。



これからつくる映画も、これからつくる音楽も、会社のあり方も、動き方も、そして自分自身の声も、変わっていくことだろう。



しげ兄さんが生きていてよかった。本当によかった。本当に。



「病気をしたことにも感謝!」としげ兄さん。



19145810_1157484174356672_7910465564807811927_n.jpg
▲第三作目となるドキュメンタリー映画「砂川〜大地の記憶〜」の取材&撮影中のしげ兄さん


そうそう、最近はインスタデビューした しげ兄さん。
その写真がなかなかいい!!
是非、お時間あればときどき覗いてみてください〜♪


◎しげ兄さんのインスタ
https://www.instagram.com/shigetoshiito/



自分らしさに磨きをかけて、これからもますます挑戦し続けて欲しい!


次回の映画作品より、しげ兄と共に企画・製作・プロデュース、そして監督に挑みます!



しげ兄、ファイト〜!


皆様のご支援・ご協力を何卒宜しくお願い申しあげます。
posted by 中村里美のぷらっとハッピー日記 at 21:46| 東京 ☁| 映画「砂川〜大地の記憶〜」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月23日

しげ兄さん登場〜!

昨年から製作中のドキュメンタリー映画「砂川〜大地の記憶〜」。5/21に行われた砂川のフィールドワークの取材と撮影には、しげ兄さんも登場〜♪

IMG_20170522_161001_951.jpg


1クール目の抗がん剤治療を終えて、今のところひどい副作用もなく、無理のないように静養しながら仕事をしているしげ兄さんですが、オフィスでたからプロデューサーと再会し、ご一緒に登場されました。


昨年対談させていただいたノンフィクション作家の高瀬毅先生とも現地で再会。しげ兄のことをとても心配してくださっていた主宰の福島京子さんとしげ兄さんの再会も感動的でした〜♪


DSC_1228.JPG


砂川闘争の現地を歩くフィールドワークに初参加のTakaraプロデューサー。


犬の参加は初めてのようです。


18582277_1970954693191693_1857323838861246167_n.jpg


皆様に大変お世話になり、心より感謝申し上げます。


posted by 中村里美のぷらっとハッピー日記 at 15:28| 東京 ☀| 映画「砂川〜大地の記憶〜」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

砂川の大地の記憶とネバダの砂漠の記憶

16195239_1906314402989056_4857283175181963572_n.jpg


第3作目は、砂川の大地の記憶を追っている。


なぜだろう? 何が自分の魂をゆさぶっているのだろう。


きっともう少ししたら、その訳がきっとわかるような気がしている。




遠い記憶が蘇る。


31年前、ネバダの核実験場のゲートの前で、10フィート運動で生まれた原爆映画「にんげんをかえせ」を上映し、砂漠にテントを張って滞在していた時のことが。



広島・長崎に投下された原子爆弾に使われたウランはネイティブアメリカンの聖なる大地から掘り起こされたものだった。


そして、ラスベガスの北西100kmにあるネバダ実験場では、1951年から1992年までに大気圏内だけでも100回の核実験が行われた。そこは、ショショニと呼ばれる先住民族の人たちの母なる大地だった…。




砂川に行くたびに、31年前のあの時受けた強烈な感覚が蘇ってくる。



posted by 中村里美のぷらっとハッピー日記 at 08:50| 東京 ☀| 映画「砂川〜大地の記憶〜」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

被爆アオギリ2世・3世が一昨年植樹された砂川秋まつりひろば

18557214_1970849796535516_4136431917949109335_n.jpg


一昨年被爆アオギリ2世・3世が植樹され、昨年は映画「アオギリにたくして」上映とミニコンサートをさせていただいた「砂川秋まつりひろば」


18556296_1970682443218918_6887608905249953102_n.jpg

砂川秋まつりひろば (文:木を植える会)
このひろばは、むかし米軍の基地になるはずだった土地に作られました。1950年代の砂川闘争によって、政府は立川基地拡張をあきらめましたが、国に買収された多くの土地が砂川に残されました。1990年ごろに、この場所を国はフェンスで囲おうとしました。しかし、「砂川にフェンスはにあわない」と市民たちが声をあげ、現在まで「木を植える会」がひろばとして草刈りや遊具の整備をつづけています。毎年秋まつりが開催され、市民に親しまれています。

posted by 中村里美のぷらっとハッピー日記 at 07:30| 東京 ☀| 映画「砂川〜大地の記憶〜」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月22日

武蔵野の記憶遺産としての「砂川闘争」を今に再発見!

初監督をつとめさせていただく、第3作目となるドキュメンタリー映画「砂川〜大地の記憶〜」の取材・撮影で、5月21日に砂川へ伺わせていただきました。

「土地に杭は打たれても 心に杭は打たれない!」
 この砂川闘争の合言葉はどのように生まれたのか。
 大地に打たれた杭を辿りながら
 武蔵野の記憶遺産としての砂川闘争を
 今に再発見してみてはいかがだろうか」

米軍立川基地全面返還40周年記念として企画された「砂川闘争の現地を歩く会2017年実行委員会」様の主催による「砂川闘争の旅学シリーズ」フィールドワークに伺わせていただきました。


「旧砂川町役場」だった砂川学習館に集合。1955年6月18日、立川基地拡張絶対反対町民総決起集会が開かれ、何度となく境内で集会が繰り返されたという「阿豆佐味天神社」を訪れ、宮伝町長宅 ➡︎ 青木行動隊長宅・5番組公会堂 ➡︎ 団結小屋跡 ➡︎ 宮岡副行動隊長宅 ➡︎ 麦畑で昼食 ➡︎ 返還された基地内の畑 ➡︎ 反戦旗ポール跡 ➡︎ 砂川平和ひろばを辿りました。

◎旅の案内人:福島京子(砂川平和ひろば主宰)+青木栄司(コミュニティ・カフェステッチ代表)+大洞俊之(立川テント村)


歴史の扉が開かれ、返還された基地内の畑を見た後、レイクランド大学のトンプキンス先生のスピーチが行われました。

18620438_1971263096494186_4153718721486365061_n.jpg


2017,5,21 Tompkins先生スピーチ

本日は、お話する機会を与えていただきありがとうございます。福島京子さん福岡愛子さんから、砂川闘争と「アメリカインディアン運動」の共同創始者であるデニス・バンクスとの繋がりについて語ってほしい、と言われました。また、平和運動に関連する彼の活動についても、少し話してほしいとのことでした。それは、世界中で進取の精神に富んだ人々が国境を越えて触発し合い、アイデアと力を引き出し合うという価値の素晴らしさを物語るものです。

デニス・バンクスが、1956年に初めて砂川という地域と出会ったとき、彼は横田基地に駐留する空軍兵士として、フェンスの向こう側にいました。日本の警察が、砂川で平和的な活動をする人々に対し暴力で立ち向かってきたとき、彼は、立川基地のフェンスラインの内側で監視に立っていたのです。デニス・バンクスは、デモ隊の誰でもいい基地内に入る者がいたら「打ち殺せ」と言われた、と述べています。彼が、実は自分は間違った側にいるのだと気づき始めたのは、その時でした。何世紀にも渡って自分たちの土地を盗み取られてきたネイティヴ・アメリカン(アメリカ先住民)としての経験は、立川空軍基地の周辺住民である砂川の人々に重なっている、と気づいたのです。打ち鳴らされる太鼓の響きまでもが、彼にネイティヴ・アメリカの太鼓の音を思い出させました。彼は、自分が共感するのは砂川の人々に対してであって軍に対してではない、と悟りました。さらに、アメリカに帰ると彼は、砂川を守ろうとする人々の勇気と実力行使に触発されて、ネイティヴ・アメリカンの権利を守る闘いへと駆り立てられました。人種差別や政府の不当性と対決し、「アメリカンインディアン運動」を創始したのです。

砂川でデモをしていた人々と同じように、ネイティヴ・アメリカンもまたアメリカの警察の暴力に遭い、運動の初期の活動は警察の蛮行をめぐる闘いでした。とりわけ現住地を返還し政府が部族の主権をもっと認めるように求めて、「破られた条約のための行進」を呼びかけ、アメリカ全土にデモ行進を行いました。1970年代に運動が拡大すると、政府は連邦警察を使い何度も裁判を起こして、ネイティヴ・アメリカンの運動を失速させたり逆行させたりしようとしました。デニス・バンクスは、1984年に懲役三年の判決を受けましたが、出所後もまた活動を続けました。

デニス・バンクスの行動主義は、平和と文化保存、そして環境の持続可能性といった問題が中心です。彼はアメリカを横断するクロスカントリーウォークや、日本で広島から北海道まで走破するセイクリッド・ランなどを組織・統括しました。日本山妙法寺の支援と協力を得て、私たちは七世代先を考えて生きなければならないという考えを推進するために奮闘してきました。七世代先を考えるとは、環境を守り、核施設やスタンディング・ロックのパイプラインなど潜在的に有害性のある建設に反対し、平和を唱え、様々な背景を持つ広範な人々と学び合い共同し合う、ということを意味します。デニス・バンクスにとってこのような考え方・生き方は、砂川闘争の種から芽生えた精神でもあるのです。

〜砂川闘争の旅学資料集より(砂川平和ひろば編集)〜


〜⭐︎〜⭐︎〜⭐︎〜⭐︎〜⭐︎〜⭐︎〜⭐︎〜


1955年6月18日、立川基地拡張絶対反対町民総決起集会が開かれた阿豆佐味天神社。参加者1300名。その後も、この境内で何度となく集会が繰り返されたという。

18581505_1970954663191696_5277320866977904157_n.jpg
▲今では「猫返し神社」として知られる阿豆佐味天神社。

18582277_1970954693191693_1857323838861246167_n.jpg
▲案内人で「砂川平和ひろば」主宰の福島京子さん。


18619901_1970866456533850_4651349465380701060_n.jpg

反対闘争で守った宮岡政雄の土地の麦畑
〜「砂川闘争の旅学」資料集より(砂川ひろば編集)〜


砂川闘争当時の砂川では、戦前から盛んに行われていた養蚕のための桑畑、小麦、さつま芋、陸稲などが栽培されていた。16代続く宮岡正雄の生家は、1945年8月2日に、焼夷弾により焼失してしまったため、戦後はそれまで蚕室として建てられていた家を、住居に改修して住むことになり、戦後は主要な養蚕ができなくなり、桑畑は小麦やさつま芋、陸稲栽培に変わった。

1955年5月4日、拡張が知らされ、初めての会合が5番組公会堂で開かれる日、宮岡政雄は麦の手入れをしていた。作業をしながら、「今は、主権在民の新憲法の下、戦前の陸軍の基地の拡張の時代とは違う。この法の下にたった一人になったとしても戦争に繋がる基地の拡張に絶対反対する。その結果土地を奪われたとしても、先祖は恨まないだろう。私が散在して失うわけではないのだから」と決意し、5番組公会堂に向かった。その畑は、激突の度に踏み潰され、さつま芋がむき出しになり、時には援農の労働者、学生が収穫を手伝った。また、運動麦播きが遅れて来年の収穫が危ぶまれた時、反対同盟の人々が麦まきを手伝い、例年通りの収穫ができた。支援者や反対同盟の絆で守られた畑に、砂川闘争当時の作物を植え、今麦畑を再現している。そしてここから、「砂川地粉」・「砂川地粉うどん」が作られている。

18556150_1971251583162004_5333976920796585611_n.jpg


歴史の扉を開けて中へ。
返還された基地内の畑へ。

18619917_1971260669827762_5369180819947680934_n.jpg

18581640_1971260683161094_7578053653738105406_n.jpg

18581683_1971260706494425_3540805321100454346_n.jpg

18582175_1971260729827756_5817369394891347719_n.jpg

17522750_1971260763161086_5535593637981734720_n.jpg

18555951_1971260799827749_1147483544539657602_n.jpg

18582633_1971260826494413_2673174457695300218_n.jpg

18557317_1971260866494409_6467634001662021203_n.jpg


◎ドキュメンタリー映画「砂川〜大地の記憶〜」Facebookページ
➡︎ https://www.facebook.com/SunagawaDocumentary/
posted by 中村里美のぷらっとハッピー日記 at 21:08| 東京 ☀| 映画「砂川〜大地の記憶〜」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月20日

「土地に杭は打たれても 心に杭は打たれない!」

2017年5月21日(日)米軍立川基地全面返還40周年記念「砂川闘争の現地を歩く2017」が開催されます。現在製作中のドキュメンタリー映画「砂川〜大地の記憶〜」の撮影でお伺いさせていただきます。皆様よろしくお願い申しあげます。

砂川チラシ!.jpg

砂川チラシ2.jpg
posted by 中村里美のぷらっとハッピー日記 at 21:45| 東京 ☀| 映画「砂川〜大地の記憶〜」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする