2017年08月30日

ドキュメンタリー映画「砂川の大地から」 長谷川直樹さまに、心から感謝申し上げます〜!

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▲長谷川直樹さまとしげ兄さん( 8/8 下北沢にて )


ドキュメンタリー映画「かけはし」でアドバイザーとしてお世話になった、長谷川直樹様に、第三作目となる「砂川の大地から」でもお力添えいただけることになりました。


「アドバイサーとしての協力の労は、おしみませんよ。遠い昔の砂川闘争を知らない普通の人たちに、福島京子さんの熱い思いをどう伝わるか。言い換えれば、映画を観た人に中村里美監督の思いが映像としてきちんと伝わるかだと思います。じっくり考えてやりましょう」


長谷川様よりメールをいただき、感謝の気持ちでいっぱいです。



長谷川様は、私が学校を卒業後に、まだまだ人生を模索していた頃、テレビの報道局社会部長をされていて、長谷川さまのもとで約1年間契約社員としてお世話になりました。


あの時、長谷川様から言われていた仕事の一つが、毎朝出社した後、すべての大手新聞に目を通して、反戦・反核などの記事の切り抜きをして、スクラップブックに整理することでした。


それまで、新聞をちゃんと読んだこともないような自分だったので、せめて、自分が切り抜いた新聞に目を通そうと思って読んでいた時、「若者ボランティアいませんか?」という、バークシャーコミュニティーカレッジの平和学教授だったレイスロップご夫妻と日本で教師をする北浦葉子さんが日米協力草の根プロジェクト「ネバー・アゲイン・キャンペーン( NAC)」の民間平和大使を呼びかける記事が目にとまりました。


その記事を見たことがきっかけとなり、31年前、アメリカの学校や教会などで約一年間ヒロシマ・ナガサキの原爆映画上映会をしたことが今の自分の原点となっています。


もし、あの時、長谷川様のもとでお仕事させていただいていなかったら・・・「いのちの音色」ライブも、ライブの中で歌っている歌も、映画「アオギリにたくして」も何も生まれていなかったことを思う時、人はきっかけで変わっていくと強く改めて思います。



人生を生きる中でしみじみ思うことは、
自分の力で出来ることなど実はたかがしれているということ。


きっかけを与えてくださった方々や、いろんな体験をさせてくださった方々への感謝。成功だけでなく失敗の中にこそ多くの学びがあり、何一つ無駄なことはない。あるのは心からの感謝のみ。


そして、一番最初の一つ一つがいつの間にか形をつくっていく。


自分の頭の中だけで描いたことや、学んだ知識だけで考えた机上の空論は、本当に大事なことが見失われがち。


動きながら、走りながら考える中で、知恵を授かり、本当に見えて来るものがある。


母がよく言っていた。
人生には良い時も悪い時もある。いい時は、誰もが良くしてくれるし、してあげられる。でも、ひとたび状況が悪い時にこそ真価が問われる。人が本当に困っている時にこそ、手を差し伸べ助けてあげらえる器のある人間になりなさい。


自分にはまだまだ器がなく、ただただ必死な毎日。


一番苦しい時を、ハートで支えてくださっているたくさん皆様との出会いをいただき、改めて母の言葉が身にしみます。


そして、今は支えていただくばかりですが、いつか自分も支えていく存在になれるよう、初心を忘れず、プロセスに心を通わせながら、目標に向かって突き進みながらもっともっと成長していけるようがんばっていきたいと思います。


長谷川様はじめ、ご支援・ご協力くださり、応援してくださっている皆さまに改めて心より感謝申し上げます。
本当にありがとうございます!!がんばります〜!!よろしくお願い申し上げます。



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2017年08月19日

第3作目ドキュメンタリー映画「砂川〜大地の記憶〜」公式ウェブサイト

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映画「アオギリにたくして」
ドキュメンタリー映画「かけはし」に続く
ミューズの里の第3作目となる
ドキュメンタリー映画「砂川の大地から」公式HPを
渡川修一さんが作ってくださいました。
渡川さん、ありがとうごさいます〜!!


◎ドキュメンタリー映画「砂川の大地から」公式ウェブサイト
➡︎ http://musevoice.com/sunagawa/



この度の第三弾となる「砂川の大地から」では、
これまで共に企画・製作・音楽・プロデュースを行ってきた
伊藤茂利と共に監督を務めさせていただきます。


映画「アオギリにたくして」で大変お世話になり
映像の世界で活躍されている中根克様に
撮影でお力添えをいただいております。


また、映画「アオギリにたくして」撮影監督で
撮影技師の倉本和人さんが撮影特別協力を
してくださることになりました。


編集は、ドキュメンタリー映画「かけはし」の
予告編制作でもお世話になった
ドキュメンタリー映画「ハダカの城」の監督
柴田誠様にお力添えいただきお願いすることになりました。


映画「アオギリにたくして」でお世話になった
大久保憲一弁護士が制作顧問を引き受けてくださり、
ドキュメンタリー映画「かけはし」でお世話になった
長谷川直樹様に撮影&編集アドバイザーとして
ご協力をいただけることになりました。


完成に向けて、スタッフ一同全力を尽くします。
今後とも皆様のご支援・ご協力を何卒よろしくお願い申し上げます。

posted by 中村里美のぷらっとハッピー日記 at 23:29| 東京 ☔| 映画「砂川の大地から」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

砂川平和ひろば「浅間山米軍演習地化反対運動の語り部のお話」

現在製作中の第三作目となる
ドキュメンタリー映画「砂川の大地から」


砂川の大地では、
12日に撒いたお蕎麦が、雨続きの中、
立派に発芽して成長しているようとの
ご報告が福島京子さんよりありました。


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▲撮影:福島京子 砂川の大地に育つ蕎麦 


暑い中、砂川平和ひろばの改装工事がつづいています。
そして、明日は、砂川平和ひろば主宰の軽井沢ツアー。
軽井沢町の堀辰雄文学記念館前にて集合です。

13:00より「浅間山米軍演習地化反対運動を学ぶ」
 語り部:荒井輝允さん(浅間山米軍演習地化反対期成同盟 青年団) 

15:30より 追分宿見学(午前に続き)か、軽井沢歴史民俗資料館 解散
    鳩山家別荘見学(砂川闘争の時、婦人たちが抗議行きました)


明日早朝、立川で車に乗せていただき軽井沢に向かい、
砂川ひろばの皆様に同行取材・撮影させていただきます。

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軽井沢研修資料
−浅間山米軍演習地化反対闘争を学ぶツアー
(砂川平和ひろばの張さんより)
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 朝鮮戦争の最中の1953年4月。浅間山の麓に位置する長野県軽井沢町周辺の住民は、突然の米軍演習地の設置通告に騒然となった。聖なる浅間山に生きる人々にとってこの通告はまさに晴天の霹靂であった。

 当時のアメリカ軍−正確にはUN軍−は圧倒的な軍事力でもって中国の国境付近まで北朝鮮を攻め込むも、これに危機を感じた中国側が血盟関係の北朝鮮に大軍を派兵すると戦況は一気に逆転する。その結果、ふたたびソウルが陥落し、戦争は長期消耗戦の兆しを見せ始めていた。アメリカ軍は想定外の酷寒の山岳戦に辛酸をなめ、甚大な人命損失を葬っていた。この朝鮮半島の戦況に連動し、アメリカは急遽日本に冬季の山岳戦闘演習地設置に取り掛かり、その候補地として浅間山が日米安全保障条約の名の下で決められたのである。

 朝鮮戦争が始まって1年3ヶ月が過ぎた1951年9月。西邦世界だけの参加するサンフランシスコ講和条約が締結され、日本は主権国家として国際社会に復帰することができた。が、しかしそれは歪められた戦後体制のはじまりでもあった。以来、いわゆる日米安全保障条約における日米地位協定は、日本列島のアメリカ軍基地化を容認する呪縛となっていった。

 ところが、泥沼化する戦況に焦りを見せていたUN軍総司令官マッカーサー。彼はついに核兵器使用を主張するに至る。しかし、これは三度の世界大戦−しかも核戦争に−エスカレーターする危険性を大いに孕んでいた。こればかりは避けようとアメリカ政府はマッカーサーを解任し、停戦協定を結んで戦争状態から脱する方向へと舵を切り替える。結果、1953年の7月27日板門店にて停戦協定書に署名が交わされ、ようやく朝鮮半島は戦争の「一旦停止状態」へと転換し、現在に至っている。このように、最も緊迫した朝鮮半島情勢のど真ん中で起きたのが「浅間山米軍演習地化反対闘争」であったが、その展開は予想をはるかに超える形を見せていた。強力な結衆の力は日米安保条約の盾を突き破り、地元住民側の電撃的な勝利となったのである。通告から僅か4ヶ月足らずの出来事であった。

 地域が一気に「結衆」し、素早く世論を軽井沢に向かわせ、「200万人」の賛同者たちを得るまで数ヶ月も要しなかった「浅間山米軍演習地化反対闘争」。この闘争の本質はどこにあり、勝利の背景に何があったのか。また、この歴史的な勝利が何故人々の記憶から消えていってしまったのか。これらの謎を解くすべての手がかりが浅間山麓の現地にある!

 私たちは信じてやまない。この厳然たる反基地闘争の水脈が大地を伝わって武蔵野の砂川にまで流れていることを。そして戦後の「闘争時代」に、今に活かすべき光が潜んでいることを・・・。

砂川ひろば

posted by 中村里美のぷらっとハッピー日記 at 19:00| 東京 ☀| 映画「砂川の大地から」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月15日

砂川平和ひろば「壁開け式」

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8/12砂川平和ひろばの改装工事のための
「壁開け式」に、しげ兄が取材・撮影で伺わせていただきました。


壁を取り払う前に、
砂側平和ひろば主宰の福島京子さんと
地元の皆さまがメッセージを描いて記念撮影。


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そして、この日はみんなで流しそうめん!!

すごい❤️

私も行きたかったなぁ〜♪♪♪

砂川平和ひろばは
いつも楽しい企画がいっぱい!
心も体も元気になります。


砂川の大地から平和を〜!
ドキュメンタリー映画「砂川の大地から」
撮影中〜!





posted by 中村里美のぷらっとハッピー日記 at 16:28| 東京 ☔| 映画「砂川の大地から」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月31日

福島京子さんと砂川平和ひろばに集うみなさんと一緒に見た「平和花火」

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ドキュメンタリー映画「砂川の大地から」
撮影のため砂川平和ひろばへ〜!


立川花火大会にあわせて
砂川の畑でとれた無農薬の枝豆を茹で、
トウモロコシでポップコーンをつくり、
砂川平和ひろばと&畑のお手伝いをされているシルバーの皆様の
共済による飲食販売。

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雨の中、
砂川平和ひろばの目の前に、
大きな見事な花火が上がりました〜!


砂川闘争の跡地で
福島京子さんと砂川平和ひろばに集う
みなさんと一緒に見る
平和花火〜!


花火の後、みんなで乾杯〜♪


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この日は、初プロデュース作品の映画「アオギリにたくして」制作委員会のメンバーで、東日本大震災の翌年の3・11に行われた福島ロケでは、スタッフや機材を乗せて車で同行くださり、エキストラとしてもご出演くださった田中正栄社長もご参加くださいました。


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皆様に心より感謝申し上げます。

posted by 中村里美のぷらっとハッピー日記 at 09:34| 東京 ☁| 映画「砂川の大地から」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月29日

新井章弁護士に砂川闘争の貴重なお話を伺いました。

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現在製作中のドキュメンタリー映画「砂川の大地から」

本日は、砂川闘争に深く携わっておられた新井章弁護士を、映画「砂川の大地から」制作顧問の大久保賢一弁護士にご紹介いただき、大変貴重なお話を聞かせて頂き、今後のドキュメンタリー撮影にご協力いただけることになりました。

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心より感謝申し上げます。


posted by 中村里美のぷらっとハッピー日記 at 11:07| 東京 ☁| 映画「砂川の大地から」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月19日

『山梨平和ミュージアム (石橋湛山記念館)』浅川保館長が砂川平和ひろばへ

ドキュメンタリー映画「砂川の大地から」
7月17日、撮影のため砂川平和ひろばへ。

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▲砂川平和ひろば 主宰:福島京子さん


昨年、『山梨平和ミュージアム (石橋湛山記念館)』に福島京子さんはじめ砂川平和ひろばの関係者の皆様が訪れたことがきっかけとなり、館長の浅川保さんが、砂川平和ひろばへ。

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浅野館長は、高校教員をリタイア後、
歴史的事実を後世に遺し語り継ぐため、
退職金をなげうって「平和ミュージアム」の場所を確保。


公的な支援は受けられなかったものの、
その後、多くの寄付が集まり、
市民の資料から、戦争の実像を伝える平和の拠点として地域に根づく
『山梨平和ミュージアム (石橋湛山記念館)』が誕生した。
結果的に、縛りがない方が自由な発信をすることができ、
今後の砂川平和ひろばの在り方を考える上で。
とても良いお話がかわされました。


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砂川闘争だけでなく、
五日市憲法、自由民権運動など、
平和を発信してきた多摩地域を
より掘り下げながら、
平和の発信をしていく
砂川平和ひろばのこれからの姿について
熱いトークが交わされました。


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2017年06月28日

ドキュメンタリー映画「砂川〜大地の記憶〜」制作顧問の大久保賢一弁護士と共に「砂川平和ひろば」へ

2017年7月26日、第3作目となる製作中のドキュメンタリー映画「砂川の大地から」の制作顧問としてお力添えいただいている日本反核法律家協会事務局長で弁護士の大久保賢一先生と共に、福島京子さんに会いに「砂川平和ひろば」に伺いました。


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▲砂川平和ひろば


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▲砂川闘争では反対農家の中心的存在だった故・宮岡政雄さんの次女として生まれ、守り抜いた土地で「砂川平和ひろば」を主宰する福島京子さん。


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「砂川平和ひろば」から徒歩数分のところにある「砂川秋まつりひろば」に、福島京子さんが一昨年植樹した被爆アオギリ2世・3世に会いに行きました。

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▲「砂川秋まつりひろば」に2015年に植樹された被爆アオギリ2世

「砂川秋まつりひろば」について (文:木を植える会)
このひろばは、むかし米軍の基地になるはずだった土地に作られました。1950年代の砂川闘争によって、政府は立川基地拡張をあきらめましたが、国に買収された多くの土地が砂川に残されました。1990年ごろに、この場所を国はフェンスで囲おうとしました。しかし、「砂川にフェンスはにあわない」と市民たちが声をあげ、現在まで「木を植える会」がひろばとして草刈りや遊具の整備をつづけています。毎年秋まつりが開催され、市民に親しまれています。


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アオギリは、すくすく元気に砂川で大きく成長していました〜♪


砂川の大地から平和を〜!



posted by 中村里美のぷらっとハッピー日記 at 10:46| 東京 ☔| 映画「砂川の大地から」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月25日

ドキュメンタリー映画「砂川の大地から」製作顧問として、大久保賢一先生がご協力くださることになりました〜!

映画「アオギリにたくして」では、大変お世話になった弁護士で日本反核法律家協会事務局長の大久保賢一先生に、現在製作中のドキュメンタリー映画「砂川の大地から」でもご協力いただけることになり、製作顧問をしてくださることになりました。心より感謝申し上げます。

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大久保賢一先生にはじめてお会いしたのは、まだ映画づくりを始める前のこと。


映画「アオギリにたくして」が生まれる原点ともなる歌と語りでヒロシマ・ナガサキを伝えるライブを始めたばかりの頃です。


目黒のライブカフェで行われたライブの後に行ったパネルディスカッションに、大久保先生が今は亡き被団協の伊藤直子さんと共にご出演してくださいました。


1000回ライブを目指して、スタートしたばかりの第6回目のライブでした。


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▲ライブの翌日(2009年8月8日)掲載記事(朝日新聞)
※画像をクリックすると大きくなります。


あれから、8年‥‥。


「いのちの音色」と名付けられた歌と語りでヒロシマ・ナガサキを伝えるピースライブは、200回公演を超え、まだまだ1000回ライブまでには及びませんが、これからも一つ一つのライブに魂を込めて歌い続けていきたいと思います。


ライブの中で被爆体験の朗読をさせていただいていた沼田鈴子さんが亡くなられた翌年の2012年、沼田さんをモデルとした映画「アオギリにたくして」製作をスタートする時、大久保賢一先生にご相談しました。


はじめての映画製作は、大変なことの連続でしたが、共にプロデュースをしてくれた伊藤茂利さんと共に、何から何まで自分たちで動いて行ったことで、映画づくりとは何か、上映活動とは何かを知るとても貴重な体験をさせていただきました。何かおかしなことや許しがたいことが起きた時も、きちんと物事の本質を見極めて常に冷静に的確なアドバイスをしてくださり、大久保先生がいつも見守ってくださいました。


ドキュメンタリー映画「砂川の大地から」でもお世話になることになり、改めて心より感謝申し上げます。


いつもいつも見守っていただき、本当にありがとうございます。

posted by 中村里美のぷらっとハッピー日記 at 21:38| 東京 ☀| 映画「砂川の大地から」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月21日

ドキュメンタリー映画『砂川の大地から』製作に向けて

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監督をさせていただく、ドキュメンタリー映画「砂川の大地から」の製作にむけて、昨年より撮影・取材をスタートしています。


砂川闘争から60年を迎えた2015年秋、「砂川秋まつりひろば」に広島平和記念公園の被爆アオギリの種から育った2世・3世の苗が植樹されました。このひろばは、むかし米軍の基地になるはずだった土地に作られました。1955年にはじまった砂川闘争は、地元の人たちが旧米軍立川基地の拡張計画に反対し、米軍基地を撤退させた唯一の住民運動です。政府は立川基地拡張をあきらめましたが、国に買収された多くの土地が砂川に残されました。1990年ごろに、この場所を国はフェンスで囲おうとしましたが、「砂川にフェンスはにあわない」と市民たちが声をあげ、現在まで「木を植える会」の皆様が草刈りや遊具の整備をつづけ、フェンスの代わりに椿の垣根をつくり、毎年秋まつりが開催され、市民に親しまれているひろばです。


被爆アオギリ2世・3世の植樹を企画してくださった福島京子さんは、砂川闘争の反対農家の中心だった故・宮岡政雄さんの次女として生まれました。宮岡さんは、地元の反対同盟の副行動隊長を務め、六法全書を読みながら独学で理論武装し、「砂川の法務大臣」とも呼ばれていました。宮岡さんは、戦後の憲法がある限り、必ずこの戦いに勝てると確信を持っていました。農地を守り、戦争につながることはしたくないという強い信念を持つご両親の姿を見て京子さんは育ちました。


ご両親の生き様を見続けてきた京子さんが語る砂川闘争は、Wikipediaや参考資料からは決して感じることの出来ない温度を心に伝え、今一度「砂川闘争」を今と結びつけ、また自分と結びつけて感じることの大切さを教えてくれます。


国の土地買収に応じる農家もある中で、福島さんの父・宮岡さんは立ち退きを拒否して裁判闘争を続けました。そして、米軍基地が返還されることになった5年後(1982年)、69歳で亡くなりました。


一人ひとりが尊重される世界を何より大切にしていた父の残した農園の一角に、京子さんは母と二人で「砂川平和ひろば」を開設(2010年)。旧米軍立川基地の拡張計画を住民たちが阻んだ「砂川闘争」で住民らと警官隊の衝突の舞台となった農地に、京子さんは人々が語り合う場をつくり、平和・郷土・農業など様々なテーマで交流しながら、砂川から平和を発信しています(基地拡張を防いだ農地で野菜を育ててきた妻キヌ子さんも2014年に94歳で亡くなりました)。


福島京子さんの取材を続ける中で、京子さんの思いは、初プロデュース作品「アオギリにたくして」のモデルとなった被爆者の故・沼田鈴子さんの思いと重なり、そして、振り返れば自身の原点ともなるヒロシマ・ナガサキの被爆者のメッセージを米国で伝え歩いた体験とも重なりました。


31年前にアメリカを訪れていた時、ネバダの核実験場の近隣に住む子供たちの白血病との因果関係が取りざたされ、全米のお母さんたちがネバダの砂漠に集って核実験反対を唱え、砂漠の中でのピースキャンプが開催される中で、10フィート運動から生まれた原爆フィルム「にんげんをかえせ」を上映させていただきました。


あの時、ネバダの核実験場の前でスピーチしたネイティブアメリカンの母なる大地への思い、日本山妙法寺のお上人様たちが奏でる太鼓の音‥‥。その日、たくさんのお母さんとお父さんが、おばあちゃんが、おじいちゃんが、入ってはいけない危険区域の有刺鉄線を乗り越え、手をつなぎながら、ゆっくりと核実験場に向かって歩き出しました。自分の身の危険をかえりみず子供たちの命を守ろうとする人々。ゆっくりと歩きながら、歌いながら、手錠のかけられた両手を上に掲げ、踊りながら‥‥逮捕されていきました。当日の様子を取材してい私は、カメラのシャッターを切りながら、涙が溢れてとまらなかった。あの日の記憶は、今も脳裏に焼き付いています。

広島・長崎に投下された原子爆弾に使われたウランは、ネイティブアメリカンの聖なる大地から掘り起こされたものでした。そして、ラスベガスの北西100kmにある先住民族の人たちの母なる大地だったネバダの砂漠には核実験場が作られ、1951年から1992年までに大気圏内だけでも100回の核実験が行われました。


「土地に杭は打たれても、心に杭は打たれない」
61年前の砂川闘争の非暴力不服従への思が、31年前に訪れたネバダの砂漠で出会った人々の姿と重なりました。


1977年、旧立川米軍基地は拡張されることなく、立川から撤退、跡地は返還されました。


最後まで戦い抜いた23件の砂川の農家の皆さんの強い思いの底に流れていたものとは? 福島京子さんがご両親の姿を通して見てきた砂川闘争とは?


砂川闘争の種から芽生えた精神は、国境を超えた希望の連鎖を繋いでいます。フェンスの向こう側で米軍基地の中から無抵抗のまま打ちのめされる人々を見ていた一人の米兵デニス・J・バンクス氏は、砂川を守ろうとする人々の姿に触発され、帰国後「アメリカンインディアン運動」創始者となり、平和と文化保存、持続可能な環境を守るための活動を続けています。


過去と未来をつなぐ今を生きる私たちにが決して忘れてはならない 人間としての魂の叫びを、ドキュメンタリー映画「砂川の大地から」の中で描くことができたなら‥‥。


福島京子さんとの出会いは、映画「アオギリにたくして」の生まれた原点やこれまでお世話になってきたヒロシマ・ナガサキの被爆者の方々の心の叫びが、偶然ではない必然の出会いをもたらせてくれたかのように思えてなりません。


「アオギリにたくして」「かけはし」に続く、第三作目となるドキュメンタリー映画「砂川の大地から」の完成に向けて、皆様のご支援・ご協力を何卒よろしくお願い申し上げます。

posted by 中村里美のぷらっとハッピー日記 at 21:38| 東京 ☁| 映画「砂川の大地から」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする