2018年03月16日

次回の沖縄上映に向けて、より一層がんばります〜♪

映画「アオギリにたくして」の
モデルとなった沼田鈴子さんが、
声なきいのちの叫びを
しっかりと受け止めるため
何度も訪れた沖縄。

会場は国際通りからすぐの
すてきな空間!「BOOK Cafe&hall ゆかるひ」にて
初の上映会が開催されました。


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お会いしたいと思いながら
東京にいる時は、
なかなか伺えずにいた
明治学院大学の高原孝生先生に
なんと沖縄で再会!
沖縄で再会できるなんて!!
こんなことってあるんですね!!
本当に感激でした。


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この度の沖縄上映会にむけて
広島で3歳のときに原爆にあった
被爆者の上田紘治さんが、
東京と沖縄を何度も往復しながら
実現してくださいました。
改めて心より感謝申し上げます。


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沖縄上映会では、
初日に来てくださった
現代型染の平井真人さんとの
ステキな出会いをいただき、意気投合!

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上映会場「ゆかるひ」には2日目の上映会から
3・11と広島をテーマにした平井真人さんによる
型染めの作品を展示〜♪
その作品の前で、
しげ兄さんがソロギター演奏〜♪
いつかやりたいと思っていた
アート作品とのコラボが実現しました!!


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一回目の上映後のミニライブ後、
私の声が出なくなり(><)
さらに、沖縄に持ち込んだしげ兄の楽器の調子が悪く
国際通りの楽器屋さんに持ち込んだのですが
修理不可能ということで、トラブルが続きました。

そんな中、急遽、
地元の皆様が楽器を貸してくださり実現した
しげ兄さんのソロギターによるミニライブ〜♪
最高でした!

翁長さんからお借りした1937年制のギブソン、
しげ兄のお友達の外間さんからお借りしたエレアコ。
ギターのトラブルのおかげで、素晴らしいご縁が生まれ
感謝感謝の沖縄上映&ライブでした❤️

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▲沖縄のJAZZの歴史とともに存在されている翁長さん

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▲初日にギターを持って応援に駆けつけてくださり
最終日にはご夫婦で映画鑑賞してくださった外間さん〜♪
本当にありがとうございました!


「ゆかるひ」での上映会では、
素敵な出会いをたくさんいただきました。
皆様に改めて心より感謝申し上げます。

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那覇での「アオギリにたくして」上映後、
南風原文化センターへ。


アジア太平洋戦争末期の沖縄戦では、
沖縄県民の4人に1人が
本土決戦を引き延ばすための
持久戦により命を失い、
南風原町は、
村民の2人に1人が
犠牲となったといわれている。


また、南風原文化センターの
ハンドブックには、次のように記されている。

 1945年(昭和20年)5月25日、沖縄陸軍病院は糸満方面への撤退を始めた。その際、自分で歩けない重病患者に青酸カリが配布された。
 大本営陸軍部は、4月20日には「国土決戦教令」を発表し、「決戦間傷病者は後送せざるを本旨とす」、つまり戦場で患者を移送しないと決めていた。また、捕虜になるのは恥辱であり、本人だけでなく家族も処罰する、さらに米軍に捕まれば残酷に殺害されると宣伝していた。
 そのため、重症患者が何よりも恐れたのは生きたまま捕虜になることであった。青酸カリ入りと知らずにミルクを飲んだ人だけではなく、知っていて飲んだ人も、死ぬしかないと思わされ、死に追い込まれたのである。
 撤退の際、陸軍病院本部は第一外科、第二外科、第三外科に青酸カリの配布を命じ、さらに残置隊を編成して、各壕の重病患者に青酸カリを配らせた。
 陸軍病院での青酸カリ配布は、命を助ける病院が、軍隊という組織によって命を奪う場にされてしまったことを示している。


1990年、南風原町は、戦争の悲惨さを伝える証として、第一外科壕群、第二外科壕群を町の文化財に指定しています。





沖縄が復帰20周年を迎えた1992年、
南風原文化センターでは6月23日の
慰霊の日に「ヒロシマ原爆展」が
開催された時、沼田鈴子さんは
南風原町内の小・中学校や文化センターの会場で
被爆体験を話されています。


その後、1994年から南風原町内の
4つの小学校の六年生を対象に
南風原町子ども平和学習交流事業が始まりました。


10人前後の子どもたちが毎年広島を訪れ、
沼田鈴子さんの証言を聞いて、
原爆ドームや広島平和記念資料館を見学し、
平和記念公園の碑巡りをする。
沼田さんが亡くなるまで
17年間にわたり続いていた
この平和学習交流事業の引率を
最初からされている学芸員の平良さんに
是非お会いしたいと思って
上映後に南風原文化センターを訪れました。

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残念ながら、
平良さんはご不在で、
お会いすることが出来なかったのですが、
南風原文化センターで育つ
被爆アオギリ2世に会うことができました。

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そして翌朝、東京に向かう空港で、
平良さんからお電話が!!


沼田さんが亡くなられた後も
南風原の子どもたちは
毎年、広島を訪れ、
今年も南風原町子ども平和学習交流事業が
行われることになっているそうです。

2004年には、
沼田さんの話を聞いた子どもたちにより
結成されたOB会「アオギリ.com」
が立ち上がり、今も平和の種まきが続いています。


近くまた、平良さんに会いに
沖縄に伺わせていただくことになりました!!


今後の映画「アオギリにたくして」
沖縄上映に向けても、
皆様からお声をかけていただき
心より感謝申し上げます。


沖縄上映の第一歩を終え、
次に向けてがんばります!!


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沖縄の皆様に、心より感謝申し上げます。
posted by 中村里美のぷらっとハッピー日記 at 00:39| 東京 ☀| 映画『アオギリにたくして』 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする